広川町誌 下巻(4) 民族資料篇民族資料篇 その11、伝説 2、民間信仰 3、俗信、俚諺、迷信など 4、民謡、俗謡など 民族資料篇その2 1、年中行事 2、子どもの遊び―子どもの生活今はむかしー 3、講 4、方言の部 主な方言語について 広川町誌 上巻(1) 地理篇 広川町誌 上巻(2) 考古篇 広川町誌 上巻(3) 中世史 広川町誌 上巻(4) 近世史 広川町誌 上巻(5) 近代史 広川町誌 下巻(1) 宗教篇 広川町誌 下巻(2) 産業史篇 広川町誌 下巻(3) 文教篇 広川町誌 下巻(4) 民族資料篇 広川町誌 下巻(5) 雑輯篇 広川町誌下巻(6)年表 文化誌・民族資科篇 民俗資料篇その11、伝説1 弘法伝説 由来弘法大師にまつわる伝承や伝説は全国に無数といってよいほどで、郡内でも十指にあまる伝説が数えられる。わが広川町内にも3つ4つほどが伝わっているが、しかしもう知る人は少くなっている。 鷹島の弘法井戸 湯浅湾内にうかぶ小島のうち鷹島のみが、珍らしく清水がわき今も利用されているが、この井戸は、弘法大師がこの島に渡り修業した際に堀ったものだと、おきまりの弘法井戸伝説がある。この島は大古から人が住み、また航行中の漁船などが風除けに舟がかりした所で、明治年間まで1、2軒の人家があった。(現在はハマチ養殖事業のため住人もいる。) さて、この井戸の伝説は明治中期ごろまではまだ生きていて、漁人たちはこの水を飲料以外には絶対使用しなかった。この水で汚れ物など洗ったりすると勿ち腹痛にみまわれると信じていたものである。 この外に、別に何の話も伝っていないが、広八幡山の裏手小路の側にある井戸は、水質もよく、干魃にもかれぬ「弘法井戸」といわれている。そして明神山の3角点のある附近に小さな泉があるのも、「弘法」さんが堀ったものと伝えられている。 鷹島の大ムカデ やはり弘法大師がこの島で修業中、庵室の灯火の下で経典を読まれていたとき、バサリと音をたてて小さなムカデが落ちて来た。大師は一瞬ハッとしたが、やがて、「おまえはお釈迦様にさえ嫌われた虫と聞いている、修業のじゃまをするな」とて爪で頭をつぶして窓外へポイと捨てられた。さて、さて、翌朝になって、何気なく外を見ると、長さ1間にも及ぶ(1・8郡)大ムカデが死んでいたという。 附 この島は今もムカデが多いようである。一般にこの地方に残るムカデの話に、あるときお釈迦様が「きれいな虫だな」と手のひらにのせると、その手をかんだので、あいそをつかされ、お茶をかけられて死んだという。釈迦降誕の花まつりに、寺院で甘茶をくれたものだが、これで墨をすり、まじないの歌を書いて入口の柱にさかさにして貼っておくと、ムカデにかぎらず悪虫が入りこんで来ないという俗信があって、今も古い家の柱に貼り残っているのを見かけることがある。その歌は「昔より卯月8日は吉日よ 神下虫を征敗ぞする」。 くわずいも 津木前田地区に残る話で、この地で芋(里芋)を作ってもエグ味が強く食用にならぬ畠がある。 昔、修業行脚の旅の僧が、この村のある農家に立寄った際、里芋をたくさん取り入れていたので、1つをと所望されたところ、「これはエグくて食えない芋でネ」とすげなくことわってしまった。旅僧は「それではいたしかたないナ」とつぶやいて立去って行った。それ以来今までうまかったこの畠の芋は、さっぱり喰えないものになってしまった。かの旅僧は弘法さまであったのだと誰いうとなく噂したという。 これとにかよった話に、岩渕地区の奥地に、「あがらない柿」のことが伝たわっている。その地の山畠に植えた柿は、熟しても、あわしても、どうしても渋がぬけず甘くならぬ柿で、これも弘法大師のいましめにあったのだといわれている。 2 長者屋敷伝説 下津木滝原から小鶴谷をすぎて、地籍でいうと下山田の奥にわが町内での高峰、長者が峰がそびえている。この峰に約2アールほどの平地になっている所があり、土地では、お屋敷とよんでいる。 いつの時代か不明であるが、此地に山芋堀の翁が居て、秋から冬へかけて山芋を堀ってなりわいとしていたが、ある日のこと、いつものごとく芋を堀っていると、変な音がしたので不思議に思いながら堀りす、むと、大きな壺が出てきた。その中には黄金が1ぱいつまっている。びっくりして1時は夢かと思ったが、さてはここで住居せよとの神のおつげだと、ここにそれは立派な家屋を建てて永住した。そこで土地の人々はこの翁を長者さんとよぶことになった。 さてこの翁に息子があって嫁を迎えることになったので、そこは長者のこと、何とかふさわしい嫁ごと八方手をつくした結果、山城国の長者で角倉という家に妙なる姫君が居て遂にこの姫を嫁にむかえた。さすがに都近くの姫君のこととて、その衣裳は金糸銀糸の目もさめる美しさ、毎年夏の虫干しにはこの山上の屋敷で衣裳を掛けつらねて風を通すのだが、そのまぶしさが四方に輝きわたって、遠く広の海にまでおよんだという。そのために海の魚どもがおそれて湾内に近よらず、漁師たちは大いに困ったことだった。 この話にはまた異伝があった、この芋堀長者の豪壮な構えとその調度の立派さが、遠く阿波の国まで輝きわたった。かねてこの光に不審を抱いていたある阿波の娘が、たずねたずねてこの山上の屋敷にまでたどりついてきた。それも縁あってのことと、そこの長者の息子と夫婦になって幸福に暮したという。 また別伝では、この山で芋を堀っていた若者が居て、どういうしさいがあってか都から嫁ごが来てくれた。なにぶん不便な山居暮しだったので、いつも嫁ごの入用の品を湯浅まで買いに行かねばならぬので、若者はその都度嫁から銭をもらって買物使いをしていた。ある日のこと小銭がなくなったので、嫁は黄金を出して、若者に渡した。ところでこのむこ殿、金をふところに広橋までくるとカモメが群をなして飛び交っている。山では見かけぬ鳥なので、ふところの黄金をとってカモメめがけて投げつけたが、ちっともあたらない。とうとう全部を投げてしまい、手ぶらで帰って来た。嫁ごはおどろいて、今日渡したおかねはいつもの小銭とはちがい尊いおたからなのにとなぢった。するとむこ殿けろりとして、あんなものが尊いのならここにはいくらでもあるとて、山のアセンボ(あせび)の株の根元を堀ると小判がざくざくと出てきた。そこで2人はいつまでも幸福に暮すことが出来たという。長者が峰にまつわる伝説である。 3 大蛇伝説 蛇にまつわる話も全国的なものだがわが広川町にも左のような伝説がある。そのうちには、俗信仰の対象として、今も人々の心に生きているものもある。 推木明神 津木小鶴谷の奥、長者峰近くに、推木の古木が繁り、附近は大小の岩石がそそり立ち、めったに人の近づかぬ場所があって、そこに、推木明神という神がまつられている。(現在ではそれより下の方で人が行きやすい所に分霊を移して、毎年祭りを絶やさず、餅投げなどあってにぎわう。)ここに伝わる大蛇伝説に、昔この附近に猟師が住んでいて、毎日のように山に出かけるが、ある日のこと、この推木の大木のある附近まで鹿を追って来ると「オーイ、オーイ」と叫ぶ声がするので振りかえると、家に留守居の筈の老母が、「今家に客が来ているからすぐもどるように」という。急いで帰ってみると客などは見えず老母は台所仕事をしているので、「どうしたんだ」とたずねると、老母は何も知らぬ、ましてお前を呼びに行ったりせぬという。こんなことが2、3回もつづいたので、これは何か魔性のもののいたずらかも知れぬと考えて、ひそかに覚悟をきめてまた例の場所へ近ずくと、相変らず老母がむかいに来る。ここぞと思いきって、ズドンと1発老母めがけてブッぱなした。すると老母の姿は消えあとに点々と血のしたたりが続いているので、それをつたって行くとわが家の床下まできている。床下をうかがうとそこに長年家で飼っていた3毛猫が死んでいた。おのれ慮しらずの猫め、主人をたぶらかすとは何事ぞと想った。今度はと、又例の場所まで行って、鹿笛を吹いて、鹿寄せにかかった。すると椎の古木から、スルスルと鎌首を上げて大蛇がせまってくるではないか。驚いた猟師は、猟する者が持つ最後の丸、この丸を打てば再び鉄砲打つことは出来ぬという「ナマンダブツの丸」をこめて、大蛇めがけて1発で仕止めてしまった。ところで、家に帰った その夜から、毎夜のごとく大蛇がうらめしそうに枕元へ現われ来て、「鹿だと思ったので姿を現わしたのだ。なぜおれを撃ったのだ」とうらみをのべてにらみつける。とうとうその男は気が変になって死んでしまった。 人々はこの大蛇のたたりを恐れて神として祭ることにした。猫はたぶん大蛇の居る場所へ近づく主人を思いとどませようとして、老母の姿に化けて呼んだのだろうと。この話しには語る人によって異伝もある。 大蛇が貝を喰う話 鷹島に、貝がらが山のように積み重なった場所があった。今はささ藪におおわれて場所がはっきりせず見られなくなっているが、これは隣りにうかぶ黒島に大蛇がすんでいて、時には海へもぐり貝類を喰って、鷹島までやってきて一休みし、そこで貝のカラをはき出したのだと。 また明神山にも大蛇がいて、これも同様、貝がらの積ったのが目にかかったという。この大蛇は山上に祭る明神様で、人により時によっては姿をおがませてくれるといわれる。 その他大蛇のこと 有名な霊巌寺のカラタチ岩にも大蛇が居るという。大昔ここに修業を積んだ行者が居て、その衣は、蛇のカタビラ(脱皮した薄皮)で作ったものを身にまとっていたという。 またここの大蛇が前田や猿川の山田でトグロを巻いたりして、その田では稲作が不能であったという伝承があるが、今これがその田だということははっきりしない。 南金屋に、一たんは合祀された弁財天様を、とりもどしてきて立派に祀っている小社がある。ここにも大蛇がいて、これは弁財天様のお使いであるという。昔から南金屋には美人の多い処といわれているが、これは弁財天は美女神である故だと。ちなみにこの弁財天山も、石灰岩の多い地である。 岩渕の牛滝さんも、猿川の不動さんも、そのお使いは蛇で、これは巳さんと呼ばれて、白蛇であるという。 落合黒渕の大蛇 岩渕から流れでる広川と、猪谷方面から流れくる支川の落ち合う所が、落合地区であるが、岩渕からの流れを少しさかのぼっていくと黒渕という深渕があって、大水害以前は今よりも大きくもっと深い所であった。この渕に大蛇が居て、土地の人が、この渕へ近づいて呑まれることもあったという。そこで再びかようなことのないようにと、命を落した人の霊と大蛇とを祭つる小祠がある。 このほかに、この川には、おん渕、めん渕という渕があり、そこにも大蛇が居ったという。 井関の小名「竜の口」は、両岸に大岩があってこれに広川の流れが突きあたって深い渕になっている所がある。この南側にある大岩には雄竜がすみ、川北の大岩には雌竜がすんでいたという。昔からこの附近では、子供たちの水遊びは厳禁されていて、1種の魔所とされていた。最近では川南の雄竜の大岩は工事用に破砕されてしまったが、川北の方はそのまま残っていて、多少の無気味さを残している。しかしこの雌雄の竜については何の話も残っていない。しかし今日でも正月には、ここへ餅などを供える習しになっている。 六法池の塞の神今は畑に拓かれているが、もとこの池の上手に塞の神が祀られていた。そこに大蛇が住んでいて、あまり人は近づかなかった。そこに見事な石があって、この石も崇るといって恐れられていた。現在この石は、池上西広への県道の上(小字名、黒岩)にささやかな「ほこら」があって、そこへ運びこまれて安置してある。 また、別伝によると、塞の神もあったが、弁財天を祀っていた。それがいつとはなしに煙滅してしまった。最近になって土地の特志家が、その弁財天のほこらを新造して、前記の場所にまつったのだという。ちなみに、もともと弁財天のお使いが蛇だとも、いや、弁財天さまが蛇を神格化したものだとの俗説があるので、弁財天を祀る所、蛇に関する伝説が多いようである。 4 にわとりを飼わぬ里 色々の事情で昔からにわとりを飼わぬ土地があり、そういう所が郡内でも3、4ヵ所あるが、わが広川町では、乙田天神社を祀った乙田地区ではやはり、昔からにわとりを飼わなかった。 各地の例をみるとその理由は、神や、貴人や、落武者などが、かくれすんでいたが、にわとりの鳴き声で居所が発見されたのを、里人が気の毒に思って、それ以後飼うのをやめたという、天神様即ち菅原道真が九州へ流し者にされて、大勢の妻妾や子供と別れを惜しんでいたときに、にわとりの鳴く声を合図に、つきぬ名残りを惜しみながら別れてゆかねばならなかった。そのために天神様を祀る土地では、にわとりを飼うことをやめたという伝えがある。 乙田天神社は今は八幡社にまつられているが、その故地であった乙田でもいつとはなしにかような、ならわしになったのであろう。 5 雷の落ちぬ里 雷は昔も今も人に好まれぬ自然現象であるが、昔の人は雷を神格化したり、雷獣とかいって1種のけものに想像されていた。落雷はその「雷」が地上に落下してくるものと信じられていた頃の話である。 広川町井関の在所は昔から落雷のない所だといわれている。それには次のような伝承がある。 寺院の部で述べた白井原薬師様は霊験あらたかであったが、あるときこの薬師堂の前に落雷した。そこでこのお薬師さんは早速この雷を引っとらえ、さんざん痛みつけた。おそれ入った雷は、今後一切この在所へ落ちませんと誓って、やっと許され、放された。そのためか、井関の在所には一切落雷がないという。 6 無間の鐘をつく ― 気味悪い伝承 ― 「むげんのかね」をつくという気味の悪い伝承がある。その字は無限か夢幻と書くのか解らぬが、ここでは表題のようにしておいた。この伝承は郡内他町村でもまれにきくことであるが、その家は「部外秘」で公表はされないから詳細はわかりかねる。 それは、自分の家を、己れ自身の欲望から、1時に富貴にしようとする立願である。わが子孫7代までの得分を自分独り占めにしてしまうのだという。その方法は家の仏檀のアミダ様を油でにて、絶えまなく鉦を叩いて祈りに祈る。そしてある種の条件をつける。それはおよそ考えられぬ不可能事で、例えば、東に流れる川が西に向きを変える時までとか、正月が来ても決っして餅はつきませぬとか、それぞれその人の考えできめる。するとその家がどっと盛えて分限者になる。 ところが、やがて時を経るまま、ひょっと油断して、さきの誓いを破ると、前の例でいうと、増加した自分の田畑に水を引く工事のため、その地形の関係で西に流れる水路をつけるとか、うっかり世間なみに正月に餅をつくとかしたとたんに、その田に植えた稲も、ついた餅もあっというまにヒル(吸血虫)に変って、やがてその家のまた誓を破らなくとも、子孫の分までわが手に引きつけたのだから、いずれその家は絶えはててしまう運命にあるのだという。「あの家はムゲンさんだから」と世間からささやかれることが昔はあった。 7 子育地蔵尊の話 昔、広の町が大繁昌していた時、「丸大」という大きな呉服屋があり代々栄えたしにせであった。ある日訪れた1人の旅僧が1夜の宿を乞うたので、こころよく招じ入れてもてなした。ところが、よほど居心地がよかったとみえて、相当永らく逗留してしまった。もともと修業の旅僧は、宿をかりるのは1夜かぎりで、居続けはせぬものとの不文律があったのに。それはともかく、その僧は旅立つに当り、いとまごいを述べて、何1つ御恩返しは出来ないが、この地蔵尊は私自身が刻んだもので、どうぞ心をこめておまつりくださいといって去っていった。 さて「丸大」家では、さしあたり長持の上に安置しておいたが、それは小さな石仏であった。そんなことが家人の記憶からうすれていくまでに年月を経てから、広に大津波がおしよせてきた。みな命からがら逃げ出したが、やがて水もおさまったので、わが家のあたりにもどると、家は勿論、家財道具なに1つ満足なものはない。ところがかの石仏とそれを置いた長持だけはそっくりそのまま残っていた。あらためてこの地蔵尊の有難さを痛感したことであった。 それからまた時を経て、この家にセキという可愛い女の児が生れたが、この児はいつとはなしにこの地蔵さんに親しみ、じぶんでもの等供えておまつりしていた。セキさんは地蔵さんのおかげか、虫気1つ起さず順調に成長して、年頃の娘になった。子供の病気や痛みなど、この地蔵さまにお願いすると、即座になおして下さるので、だれ言うとなく「子育地蔵」と名づけられた。 さてこのセキさんは湯浅の丹下家に迎えられてそこの嫁ごになった。そのころから全盛を誇りつづけてきた丸大」家もフトしたことから左前になり、とうとうひっそくしてしまった。セキさんは実家がかようになってしまってはいたしかたないが、あの地蔵様だけはと丹下家に引きとっておまつりした。今も丹下家にはこの地蔵尊はまつられているという。セキさんは幕末頃の人であったようである。 8 小山権現にまつわる伝説 津木地区に残る伝承である。現在日高郡川辺町になっているが、旧早蘇村平川から山道を2液も登ると、小山(おやま)がそびえている。紀伊名所図絵には雄山と記している。有田日高両郡の境界である白馬山脈の1つの峰で約458メートルある。日高郡に属しているが、土地は津木地区の所有と聞いている。 さてこの頂上に、小山権現社と、その別当寺であった高山寺が在った。この神社は例の明治末年の神社合祀によって紀道明神社に合祀されてしまって今はあとかたもなく、高山寺も無くなってしまい、石塔類や瓦礫が草叢に散在しているだけだが、ここにたつと4周の眺望がすばらしく雄大である。 津木地区からは、昔から小山越えといってここを通って日高郡へ越す路があり、相当人通りもあったが、現在は廃道同様である。室川越えの街道の西方面にあたる。この小山権現の祭祀は相当有名なもので、毎年6月18日の祭祀には、遠近の参詣人で賑い、津木方面からも相当なお詣りがあった。 祭神は蔵王権現で、吉野の山上さん(大峰山)の分神といわれている。そのためか「山上詣りの出来ない男は、せめて小山詣りでもせよ」との言葉が残っているほどであった。何分そこへの道はけわしく樹木の繁茂している山中のこととて、昔は申(さる)の刻(午後4時)より以後は近寄る者は無かった。 そこには年経たヒヒが居るとも、また天狗が住んでいるとも信んじられた。「小山天狗はカタテング」と言っているがどうもカタテングなる意味がわからない。天狗の話とヒヒの話の具体的なことはわかっていないので話はこれだけだが、何んとなく怖れられている感情は今も強く生きている。 先頭に戻る 2、民間信仰1 庚申信仰について 山本にある庚申堂の項で一寸ふれておいたが、わが広川町の各部落では、全部といってもよいほど庚申さんが祀られている。そしてそれぞれグループで庚申を祀る庚申講なる「講」が今に続けられているところもかなり残っている。庚申信仰は全国的に普及している民間信仰で主に農山村地区に多くみられ、都市ではあまり聞かない。 一般に「百姓の神さん」と理解されているのだが、もとは中国の道教のおしえで、古く平安時代にわが国の貴族の間で受け入れられ信仰されていたのが次第に民間へひろまり、室町時代から江戸時代に入って大流行した。 庚申信仰の中心は何といってもその禁忌行事にある。それには2つの禁忌がある。年では60年毎に、日では60日毎にめぐってくる干支(えと)の「かのえさるの日」即ち庚申の夜は、庚申待ちといって、朝までねむらないで夜あかしすること、これが1つ。2つめは、この夜は絶対に男女交合しないことである。その理由は、人の身体には3匹の虫が住みついていて(3戸虫という)、庚申の夜ひとがねむるとそのすきに、この3匹の虫が昇天して天の神様に人間の日ごろの悪事を報告するーしたがって天罰があたるーそれでこの虫がぬけ出さぬよう不寝番をする。これは中国道教の教えの影響である。 今ひとつ、もしこの夜男女が結ばれて、子供ができたとすると、その子は手の長い子、即ち盗人になるという。 これを恐れてこの夜は女人をさけ、婚姻などはもっての外であった。そのために庚申の夜は、人々は講の当番にあたった家に集合して庚申さんをお祀りし(たいてい絵像のかけもの)、酒食をともにしたりして(講によっては定った手料理を出す)、朝まで語りあかすので、俗諺に「話があるなら庚申待ちにせよ」ともいう。これが庚申待とか庚申講の由来である。 ところでこの庚申さまの本体ほどや、こしいものはない、第一神様やら仏様やらはっきりしない。道教では守庚神といい、日本神道では猿田彦神として、仏教では青面金剛童子という。それへ、庚申(かのえさる)のさる即猿から、猿を神使いとする山王21社権現と結びつき、また日本古来からの俗信仰の道祖神と混合したりして実にや、こしいことになってしまっている。 わが有田郡では、だいたい道祖神と結びつき、村の入口や境界に「庚申さん」という石碑をたて、それには何も書いていないただの石、たいていは丸型のものを置いたり、青面金剛童子と文字を彫りこんで石碑をたてたり、また青面金剛の石刻像をたてたのもある。 この姿は、手が6本あり、それぞれに持物を執り、怒髪天を突く恐ろしい形相で牙をむき、女の髪をつかんでぶらさげて立っている姿で、これへ日月の像と雄鶏と、「見ざる、聞かざる、言わざる」の3猿の姿を添えた、にぎやかな像である、これらを庚申塔という。また単に猿の像で代表さすこともある。山本庚申堂には男山焼の見事な猿の像があり、上中野法蔵寺にも3猿の陶器像がのこっている。 一般の信仰としては、悪霊が村へ入りこまぬよう、また悪霊の権化でもある、稲などの害虫が発生せぬようにとの願望からであった。この庚神はたいていそれを祀る「講」があって、地区によってそれぞれのしきたりや行事があったが、今では簡単になってしまった。わが津木地区では、今も各字に2つ、3つの講があり、庚申の夜一定の場所にあつまり、庚神の絵像を掛け、般若心経1巻か3巻を唱え、簡単な酒食をともにする。なお閏年にあたるときには、長さ2杯ほどの、さきがY字型になるよう椎の木の小枝を切って片側の皮をけずって、それへ奉修天下泰平風雨順時5穀成就家内安全如意所収為也とかまたは、南無青面金剛童子講中家内安全5穀成就祈願などと有難い文句を書いた卒塔婆を庚申塔へ建てる。わが町では、この神を祀る堂として、別項でも述べた猿川不動堂や山本庚申堂のような独立したものがあり、餅投げなどしてにぎやかに祭る。 2 広八幡社石垣の土公神 八幡の馬場(上中野への通路)左側石垣のもと西門への上り石段の近くに、石垣の1所をへこませたところがある。今は小石やガラクタがつまっているが、ここは「土公神」を祀っていた1廓である。 土公神はドクジンとよむが、陰陽道で土を掌る神である。この神は春は家のカマドに、夏は門に、秋は井戸に、冬は庭に居て、そこを動かすと崇りがあるといわれた。ともかく土の神様である。これが八幡の宮の一角にあったということは珍らしく、あまり人の知らぬところでもある。 もちろん今はその神はどこへ行ったかわからない、そして次第に忘れられていく。しかし「社記」にも記載され、陰陽道の神までまつった一證として、面白い記念場所である。 3 才の神信仰 塞の神、または幸の神とも書かれ、サヘノカミとも発音されている。民俗学上では道祖神として取り扱われている。塞大神・岐(嘘)大神・道の神などとも記され、郡内には才神が小字地名や通称として残っているところが少くない。わが広川町では池ノ上集落の土手の丘陵にサイノカミ、またはサヘノカミという名で呼ばれている場所がある。 池ノ上才の神(塞の神)には太平洋戦争の末期まで、2本の老松が残っており、そこがちょっとした広場であった。終戦直前に松根油を取るために、その老松も伐採され、大きく露出していた根も掘り取られてしまったが今なお、サイノカミの名が残り、古来の民俗信仰の跡が残っている。 塞の神、即ち道祖神は、元来、防障・防塞の神であり、外部から浸入してくる疫神悪霊など、悪い神を村境や峠・辻・橋のたもとなどで防ぐという信仰から生れたものである。 池ノ上才の神信仰にも、かってそれが窺れた。明治の頃まで正月と盆に提灯に火を点じ、才の神を祭った。才の神老松の下手に提灯松という1本の松の木も最近まで残っていたが、これも今は姿を消した。正月と盆に提灯を点じて才の神を祭祀すると、この部落に疫病が流行しないといい伝えられ、古くから行われてきたのであった。 なお、この才の神の場所には、いつしか伝説的なものが生れ、才の神広場は天狗の踊り場であり、日暮れて子供が行くと、天狗にさらわれると云われるようになっていた。 とにかく才神・塞神は民俗信仰として、郷土を疫神・悪霊から防ぐということから生れたものであるが、今はすっかり、その信仰も消滅している。広川地方では池ノ上才の神ばかりでなく、処々にその例があった筈であるが、近代までこの信仰が続いてきた例として池ノ上才の神をあげた。池ノ上というよりも領分としては山本であるかも知れない。 先頭に戻る 3、俗信、俚諺、迷信など厳密にいえば、それぞれの定義もあろうが、ここでは一括して、俚諺、土俗信仰、迷信などで、今も時には、物事や言葉の端に言ったり、あるいは実際に行ったりしているものをひろってみた。このなかにはこの地だけではなく、ひろい範囲にわたるものも多くふくまれているようである。しかしもう現代の人々にはすでに、また次第になじみが無くなっていく運命にあり全く忘れ去られたものもある。いかにも馬鹿々々しい迷信もあるが、永い間の伝承や体験からくるある種の智恵とでもいうべきもの、多少教訓的なものもあるし、中には科学的なものもある。そしてただ単に、吉凶事を連想させ縁起をかつぐにすぎないものもあるようである。 興味本位に書いたので厳密な分類などせず、自然現象、神仏、人事百般、動植物と、とりとめもなくあつめてみたまでである。 やまぜ(南西風)かわしの西こわい (春さきに吹く西の突風)。 春のひて西(半日か1日ほどしか吹かぬ西風) コウジ(草名チガヤ)のつのも吹き折る。 てのひらがやし(あっというまに日和が変化する)。 乞食のさんや袋とまぜ(南風)の雨(晩に近づくほど大きくなる)。 大北のあさって(北風が吹いて日和になっても明後日には天気が変る)。 大霜のあさって(大霜のあった朝から2、3日たてば雨になる)。 土用波たたぬ年は野分けの風吹く。 卯辰の雨はぎにかかる(朝6時から8時ごろまでに降りだした雨は10時ごろまで続く)。 降り入る八せん照る八せん(八専はで千支が同姓になる日で、壬子みずのえねから癸亥みずのといまでの12日間だが、そのうち丑辰午戌を除き、そのあまり8日をいい年に6回あり、その間比較的雨が多い。八専の第1日目を八専太郎といい、即ち入る八せんである。この日晴天なれば八専中は雨多く、雨天なれば晴天が多いという)。 モズの高鳴き75日(モズが高鳴きして75日目ごろから霜が降りる)。 朝虹は雨、夕虹は晴。 朝虹に川向へ行くな=川を渡るな。 夕虹にみのかさもつな。 男心と秋のそら(変りやすい)。 秋の日はつるべ落し=暮れるのが早い。 女の賢いのとこち(東)の暗いのは当てにならぬ。 トンビ(鳶)の朝鳴きは雨が近い。 トンビの夕鳴き鎌とげ(明日は日和) 土用三郎に雨降ると土用中降りつづく。(土用は4季に各18日間ある。土用三郎は夏の土用入りから3日目をいう)。また この日快晴なれば豊年、降雨なら凶年ともいう。 からつゆの年は秋に大雨がある。 つゆ中に雷が鳴るとつゆがあける。またその年旱魃ありともいう。 蛇が木に登ると大雨が近い。 カニが家に入ってくると大雨が近い。 月が笠をさせば(月暈)雨が近い。 3ヵ月が立っていれば日和。 十方暮れに雨降らにゃ男ウソ言わぬ。(十方暮れは甲申(きのえさる) から癸巳(みずのとみ)までの10日間うち戌と丑を除く、この間は曇りがちで空は暗いが雨は降らない)。 ! 寒さの果ても彼岸まで。また暑さ寒さも彼岸まで。 春の雪とキバの無いオオカミ=(こわくない。) 冬至10日たちゃアホでも知る (日が永くなる。) にっぱちがつ(28月)。旧歴の2月と8月は海が大しけになる。 アリが宿替えすると、雨が近い。 朝キジが鳴けば雨、夕鳴けば晴。 ニワトリが日暮になっても餌をあされば、翌日は雨。 ハチの巣を低い場所につくり、トウキビの根が土より上に出る年は大風あり。 5、7は雨に8つ日でり、暮れ明け6つはいつも大風。(8時か4時の地震は雨のきざし、2時のそれは日よりになる。 また6時の地震は大風あるきざしという)。 ホウキ星が出ると国に災異が起る。 猫が顔を洗うとき手が(前足)耳をこすと雨が近い。 ネズミが急に居なくなるとなにか凶事がおきる。 ツバメが巣をかけぬ年はその家に凶事ができる。 雷のとき線香をたきカヤに入れば安心。 ウドンゲの花が咲くと、よい事か不幸かどちらかである。 旅立の時ナタ豆を食うと無事に帰れる(戦時出征の時流行したことあり)。 親が厄年に子が産れるとその子を4ツ辻に捨てる。そして心安い人に拾ってもらう。そのとき、ちり取へ箒ではき入れるまねをするともいう。拾った人に名をつけてもらう。そうしなければ子が不幸になるという。 師走(12月)に味噌を搗くものではない。1年子のある家は特にそうだという。 味噌をつくるのに午か巳の日にすれば味がよいという。(1日味噌つくな) 卯味噌、寅酒。(卯、寅の日につくらない) 巳の日に祝い餅をつくな。 歯の生えるのが遅い子は長命である。(歯性がよい) 土用(夏)小豆を喰べると暑気当りせぬ。 寒の入に油揚豆腐を喰うと寒さにまけぬ。 冬至にカボチャを喰うと中風にならぬ。 扇子を拾うのはよいが、櫛を拾うのは凶。 朝みるクモはげんがよいが、夜のクモは親に似ていても殺せ。 ひき蛙は福の神という。 尺取り虫に寸をとられると死ぬ。または成長せぬという。 家を出ている者のために陰膳すると当人は空腹を感じない。(戦時出征の時流行した) ザル(方言イカキ)を頭にかぶるとその子は背がのびない。 着物を裁つのは卯の日がよい。 着物をぬって片袖をつけたままほっておくと化けておどり出す。 着物は2人以上で手わけしてぬわない。それは死人に着せる経カタビラだから。 途上で葬列に会うとよい事がある。 葬列が中断すると引き続き死人が出る。(それで先頭の道案内役が歩みを加減した)。 葬式の盛物(供え物)を喰えば、ものおじせぬようになる。 葬式帰りには家の戸口で波の花(塩)をふりかけてもらって家に入る。 卯の日に葬式を出すことを忌む。また友引きの日には絶対に出さない。 タビをはいたまま寝床に入ると親の死目に会えない。夜爪を切っても同様。 3人で写真をうつすと中の人が先に死ぬ。 平時に仏壇を買うと不幸事がある。 果ての20日(12月20日)に船出すると帰って来ない。 網に水死体がかかると大漁がある 妻が妊娠すると大漁がある。また勝負事に強くなる。 1年子の人、或は1年子の在る家は大漁をする。 新しい墓碑の角をいた小石をもっていると勝負運がよくなる。 屋敷内にビワの木やザクロやいちぢくを植えると、病人のたえまがない。 正月7草のナズナは古屋敷の跡地のものはつまない。貧乏するか病気するから。 端午の節句のショウブで鉢巻きすると頭痛にならぬ。 カラス鳴きが悪いと人の死ぬしらせ。 猫を殺すと、とりつく。(猫の霊がのりうつる。) 狐は人をたぶらかす。 ミミズに小便をかけると、陰部が赤くはれる。その時はどのミミズでもよいから水で洗ってやるとなおる。 三毛猫の雄は魔物ともまた吉兆ともいう。特に船人には災難を予告するとてよろこばれるという。 ニワトリが夜鳴きするのは凶。 鳥影が障子にうつるとき来客のあるしらせ。 カマドの薪が急に吹きつけるように燃える(火がよろこぶという)と来客がある。また家によいことがあるという 2人で同時に火を吹くと悪い。そんな時1人がカラスと言い、他の1人がトンビと言うて吹く。(火鉢の火などおこすとき。) 火鉢の炭火をいぢりまわすのは色欲の深い人だという。 子どもが火なぶりする (火をもてあそぶ)と寝小便をすると叱る。 三隣亡は悪日で、とくに棟上げは絶対しない。 のセガキの旗は害虫駆除の効ありとて田の畔に立てる。 ヘビやトカゲを指さすと、その指がくさる。そんなとき指先にフッと息を吹きかける。 夜になって新しいぞうりをおろす時、なべ墨を一寸つける。でないと狐にだまされる。 途上便意(特に大便)をもよおした時、小石を拾って帯にまきつけるとやむ。 ものもらい(方言デバック)が出たとき、つげの櫛の背で畳の縁をすって熱くなったのをあてるとなおる。また、井戸へ小豆3粒を投入れ、ざるを半分水面にのぞかせて、なおしてくだされば全部見せませうという。 舟酔いする者(一般乗物にも)は梅ぼしをヘソの上にはりつけておけばよわない。 頭髪を黒くするのに、剃った髪を路上に捨てて通行人に踏んでもらう。(特に小児の場合) 魚骨がノドにささったとき、仏壇の花瓶の水をのむととれる。 小児の夜泣きを止めるのに、ニワトリの絵を逆さにして張りつけるとやむ。 小児のオムツを夜干しすると夜泣きする ハナ血を止めるのにもず(後頭部)の髪を3本抜きとるととまる。 桑の木で小さいヒョウタン型をつくり、腰におびさせるとハシカにかからない。 子から親にうつした風邪は重く、親より子にうつしたのは軽いという。 大晦日に風呂に入らぬ者はフルツク(フクロウ)になるという。 魚のウロコを皮膚につけたままでおくと、イボが出来るという。 夜口笛を吹くと蛇が寄ってくるという。 人の背をかいてやったり、肩をもんでやった最後に、ポンと1つたたいておかぬと病気がうつる。 女が釣竿をまたぐと不漁、ト石をまたぐと石がわれる、またおこ(てんぴん棒)をまたぐと折れるか肩が痛む。 耳がかゆくなると良いことを聞く。またその代りともいう。 子供の歯のぬけ替りのとき、上歯がぬけたら雨だれへ、下歯がぬけたら屋根へすてる。そのとき、ネズミの歯より早よう生えよといったりする。 トリを喰うともドリ喰うな。(ドリは肺臓) タツノオトシゴやタカラ貝などを産婦に握らすと安産する。 卯月8日のテント花(長い竿へ花をくくりつける) が他家より高くあげると、男児が生れる。また、この花をしまっておいて、家出人や逃げた牛のあった時、それを燃して煙の方向を探すと出てくる。 初午の早くくる年は火事が多い。 丙午年生れの女は7人の男を喰いころす。 歯のぬけた夢をみると近親者が死ぬ前兆。 茶瓶、とくに薬をせんじる土瓶のロを北向きにおかない。 妊婦が便所をキレイに掃除するとキリョウのよい子を産む。 南天の繁茂する家は大吉。 盆から水泳に行く とドンガメ(ガタロ)に尻をぬかれる。 夫が浮気したら土製の男根(じぶんで作る)をホウラクでいってソトナへ、ソトナへと唱えると用をなさなくなり、浮気が止む。 (これを4ッ辻へ捨てる。) 1膳飯は喰うものではない。(死人に供えるから。) 飯をよそうとき、杓子で1回でするものでない必ず2さじにする。 家の者が死ぬと忌明けまで鳥居をくぐらない。ヒガマヒという。 ひつや茶わんのふちをたたくとガキが寄ってくる。 朝日にむかって刃物を使うとケガをする。 正月の朝掃除をしない、福を掃き出すから。 大便所へツバをはくともったいない。 鬼門や裏鬼門を汚すとたたる。 糸がもつれたとき「仏さまの絹糸、もつぼれなおせ」ととなえる。 箒で打たれたり、朝のほこりをかけられたり、手水をかけられたりすると出世できぬ。 敷居を踏むのは親の頭を踏むのと同様、他家でしたらその家の主人の頭をー。 物差しを手渡ししたら仲が悪くなる。一たん下に置いて相手にとらせる。 瓜や南瓜を指差すと落果してしまう。 なべ墨の火が走ると雨が近いという。 食事のあと横になると牛になる。 イタチを捕ると火事をおこす。 イタチに道を横切られたらゲンが悪い。3歩後へさがってあらためて歩き出すこと。また外出を止めにすることもある。 蟻を喰うと力持ちになれる。 ニワトリの産み始めの卵を喰うと中風にならぬ。 手のひらの筋が横に1本になっているのはマスカケといってその子は幸福である。 足の大きなのは親不幸。 人ごと言えば人が来る。(悪口など言っているとその本人がやってくる。) クサメ1つほめられ、2つくさされ、3つほれられ、4つ風邪ひく。(ハックションとやったあとへ「クソタレ」などと呪言することもある。) 人が死ぬとき人魂が飛ぶという。 野外で小便するとき、エヘンなどせきばらいをしてツバをはく。でないとさいなんに出会うという。 小児が便所へ落ちこんだら名前を変える。 針で指などついたときハサミの尻で3度、釘などふんづけたとき金槌で3度たたくと、うずきが止まる。 棟木(梁)の下に寝ると悪夢にうなされる。 蛇の夢を見ると金運がよい。 蛇のぬけがらを財布に入れたり、タンスの引出しに入れておくと金がたまる。 88才の人の手判を入口に貼っておくと家内安全、長寿をあやかる。 牛を死なす(災害などで)と3代たたる。(或は7代とも。) ソロデ(手の肉ばなれの方言)で痛むとき末子に白糸でしばってもらうとなおる。 (そのとき痛む者が男なら女の末子に、女なら男の末子に) 田植えのとき3日苗を植えると「笠の餅」になる。同じく苗代へ餅苗を植えても金の餅になる。 49日の忌に供えるもの。) 田植えの最後になって畔から植 えると逆子が産れる。 苗をしばったワラを一諸に植え込むと手先きが痛くなる。 田植え歌は1枚の田が植え終わるまで最後の文句まで歌う。(半分歌ったまま次の田へうつらない。) 7日盆に雨が降ると盗人千人がうまれるといって悲しむ。(七夕の夜とも。) 途上嫁入行列に出会うとわるい。 不妊の女は産神さま(名付けの際まつる神)のお供えをいただくと妊娠する。 また産神様へ川原の小石を半紙で包み水引きをかけたもの、おわれば氏神様へ供えておく。その小石をそっと知らぬまに不妊の女のたもとに入れてやると妊娠する。(名付けの祝は、産神と産婆さんと祝膳を2つ作った。そのときの産神の膳と小石のこと。) 先頭に戻る 4、民謡、俗謡などここでいう民謡とは、昔からうたいつがれた作者不明で、常民の生活のうちから、しぜんに生れでた土地の匂いのする郷土のうたといった意味である。またそのうたが伝承されていくのに、文字や譜によることがほとんどなく、多くは口から耳へとうたいつがれてきたものをさす。その種類は、野良や山の仕事、田植、草苅などの作業唄、雨乞踊や盆踊などの踊りうた、また祝儀の席などでの祝いうた。子守うたからわらべうたなどと、その種類も多様である。 ところでこれらのうたの多くは明治末年以来から急激におとろえて、今日では耳にすることも少く、第1それらのうたをうたえる人が少くなってゆくばかりである。このことは主として、生活様式の近代化、農業漁業その他の労働もその作業内容も方法も変化してきているし、そのうえ昔と今と人人の感情表現が変化して、古い時代のうたなど今の人々の好みに合わなくなってきた点などが主な理由ではなかろうか。 しかしまた一方では、古いものはなつかしいものであり、心のふるさをしのぶといった愛着もあって、またその歌詞やメロディーにはその当時の生活感情などもにぢみ出ているし、人それぞれに失った昔の幼な心を拾うような感慨もわいてくるであろう。やはり常民の文化遺産の1つとして保存もし、場合によっては絶え果てぬ今のうちに育成でもはかるべきものもあると思われる。 ここで採り上げたわが郷土の民謡も上記のようなわけで、こんな機会に書き留めておこうとするわけである。 もとより民謡の類は、その文句だけ知ったからとてそのうたのメロディーを耳にしなければ味いは半減する。しかし今それを「譜」にすることはここでは不可能に近いので一応歌詞を記するだけにとどめる。 なお文句や節なども他郡や他町村と大同小異であったり共通のものであったりして、狭く広川町だけのものというのは少いようである。いちいち集録すればぼう大な数にのぼるだろうけれどそのうち代表的とおもわれるもの、郷土にちなんだものなどにとどめておいた。うたのリズムはそれぞれの動作に合い、仕事を調子づけ、多人数でする共同作業の場合であれば、その間合いをとるために、また苦しい作業やつらい労働をうたによってまぎらわすため、などにうたわれた。その歌詞の内容は上記のような目的に合するために陽気なほがらかな、また滑稽な、ひいては卑猥なエロチックなものも多くある。その一方わが身のつらさを訴えたり、雇傭したもの、富めるものや地位の上の人たちをうらやんだり、わが身を卑下したり、おのずと哀調を感じさせるものもある。 それから文句は同一であってもうたうそのメロディーによって、たとえば子守うたにも作業うたにも転用可能で、この点からいっても採譜の必要があるのではあるが―。 田植唄 田植は農作業のうちでも最も重要なものであり、古くからの民俗行事、農耕儀礼をともなう作業であって、それだけに興味多いものであったが、現在ではそれらもほとんど忘れすたれ、歌などもうたわれなくなり、トランジスターラジオで歌謡曲などを聞きながら田植えしている風も見られる昨今である。以前は、わかい娘や嫁が、赤いたすきがけ、すげ笠姿で、田におりて苗さばきもあざやかであった。なお、田植唄はその文句の最後まで歌ってしまうまで次の田へ、かからないしきたりであった。 常盤の国から(又は南の国から)飛んできたつばくろ鳥が(ツバメのこと)、 何をみやげにもってきたぞよ、つるますに(又は金のますに)とかきを添えてお米たんともってきたぞよウ。 5月の夏至の日に、大きなもの流れらヨー、若い者にゃ いつもみよ、おじさんおばさん出て見ろヨウ。(大蛇が川を下るという。) 西らの(または藤代の)松の木は藤にまかれてねてあらヨ。わしらも若い時や殿さんまかれてねてきたのヨウ。 鹿ヶ瀬の六郎太夫さん、さしたる刀の銘見よヨウ。獅子にぼたん、竹に虎、あいは鯉のめぬきヨウ。 和歌山の後家さんは、大きな色者でござるヨ。有田へ越してきて箕島港で木をやるぞヨウ。 三十木矢之助さしたる刀、鞘は30目、下緒は20目、中は檜の荒削りヨウ。 殿のおてふき(手ぬぐい)、どこ町紺屋で染めた?ヨ。紺屋は知らねど上染や、湯浅の萬(よろご)で買うてきたよヨ。 ヤレ牛よさせにまわれ(左折せよ)、殿さに気骨おらすなヨ。 わが主がすきかけすれば、荒田なりとも植えよいヨ。 拝みなされよ拝みよし、お日様山端へかかるぞヨ。かからばかかれ入れば入れ、お月さま東に出て待たヨ。 朝のかかりはこれはとおもた、これで終りかやれうれし。 田草取唄 田植えがすめばすぐ田の草取り作業がまっている。夏の炎天に田の水は湯のようにあつい、そこへ這いつくばって、1株1株ていねいに草とりをする、きつい労働であった。1番草、2番草、3番草(このあたりで、おさめ草)と1週間ぐらいおきにこの作業があった。後に簡単なしかけだが草取機が出来てからだいぶん楽になったが、そのころから、草取歌はもう歌われなくなったようである。 笠をかぶって尻ほったてて、暑さいとわず這いましょう。 1人取るかよ5反田の草を、2人取ります影ともに。 殿サえらかろ夏山行きは、私もえらいよ草取りは。 暑いことじゃよ手拭ほしや、殿サゆかたの袖なりと。(端なりととも。) うすひき唄(もみすり) うすのかしら引きやおさへの役や、ひいておくれよ撞木から。(うすの枕挽きやお前の役じゃ、とも) 19前髪よ絹糸のじょがせよ、とろりとろりと来りゃ可愛よ。 そろたそろたよ上から下へ、ねずみ取らずの灰猫が。 うすの枕挽きやよいかよ殿よ、何がよかろにたくられて。 高いよ高いよ鐘巻高い、62段のきざはし上る。 62段のきざはしよりも、衣奈の八幡102段。 思う殿サとうす挽すれば、臼は手車ただまわる。 とろりとろりとまわるは淀の、淀の川瀬の水車よ。 亥の子唄 (いんのこ) 旧歴10月初の亥の日は、農民が田の神をまつる大切な日であった。秋のとり入れもすませ、蒔付けも終る時期である。現在でもわれらの地方では、この日餅をついて休む農家はまだ残っている。昔からこの日は村の男のの子たちが3々5々めい「サンダワラ」2枚を持ち寄って積み重ねて堅くしばりつけ、子供の数だけの縄を結んで各自がその縄の先端を持って歌に合せて調子をとって地面をたたき家々を廻わる。サンダワラではなくワラをしばって棒のようにしたので各農家の敷居や屋敷の地面を打ってまわるところもあり、その土地によって細部では多少変っている所もあった。家々では餅や菓子や小銭をくれる。それを皆なで分け合った。子供達にとっては、愉快な、そして農耕儀礼の1つとして大切な行事の1つであったのだが、これも物事の本質を知らぬ道学者的な当時の小学校教師の禁止で、しぜんとだえてしまった。大正5・6年頃まであったと記憶されている。歌詞も今では知る人も次第に少くなっているようである。(津木、南広、広の各地区で歌詞も行事のやり方もわずかだが相違あったもようである。) 亥の子亥の子祝いましょう 亥の子亥の子 よんべの子 あすはやかたのつんばなし ねんねんごろごろ今年の米のやすいのに 亥の子餅はつつかりこ 飲めや大黒 歌えや恵比須なかで酌する福の神 沖を通る親船は 金らんどんすの帆まいて 中は白壁金づくし 5文で酒は7銚子 1畝で米は7たわら 1に俵ふんまえて 2つにッコリ笑って 3に酒つくって 4つ世の中よいように 5ついつものどうとくに 6つ無病息災に 7つ何事ないように 8つ屋敷をひいろめて 9つお倉を建てそめて 10でとんとおさまった いつも10月は亥の子じゃ 上中野ではこの日子供たちは萩平林兵衛屋敷内にあった地蔵さん(実は板碑で現在法蔵寺境内の小堂にあるのがそうだという。)の前で、つきはじめてのち部落の各家をまわったのだという。山本地区では六法池北山の亥の子森で行ったという。歌詞はこの外に。 亥の子 亥の子 祝いましょう 亥の子亥の子 ゆんべの子 あすは館の餅つきで 餅つかん家は 鬼うめ蛇(じゃ) うめ角はえた子うめ 沖を通るおや船は きんらんどんすの帆まいて なかわしろがね ろはこがね こがねの中へふくませて 毎年10月は いんの子じゃ。 また別に 亥の子 亥の子祝いましょう 広の餅と、湯浅の餅を、くらべたら 広の餅は大きいけど 豆の粉がたらいで のどげっくりしゃっくりこ 沖を通る親船は きんらんどんすの帆まいて 中は白壁とうづくし いつも10月は亥の子じゃ。 野良唄 文字通り田畑へ出て仕事をしながら歌うのだが、山刈り、桑つみなど手早い動作をともなう仕事に歌われたが、文句は他の作業歌にも子守歌などにも転用されて普遍的なものが多い。 歌はうたいがち仕事はしがち、きりょうよい娘はもらいがち。 歌は千あり萬あるけれど、色のまじらぬ歌はない。 松は唐崎、そてつは堺、みかん紀の国、たんば栗。 話ならやめ、歌ならうたへ、話仕事のぢゃまをする。 色は黒ても喰てみておくれ、わたしゃ大和のつるし柿。 親の意見となすびの花は、千に1つのあだがない。 昔しなじみとけつまづいた石と、憎いながらも後をむく。 山で切る木は数々あるが、思い切るきはさらにない。 雨は降りそな夕立はしそな、由良の開山流れそな。 今年しゃ豊年穂に穂が咲いて、唯の小草に米がなる。 米の御飯に上酒をのんで、湯浅しょうゆ食て何残りゃ。 湯浅お蔵町戸津井さんの店に、あたい巻くよな帯ないけ。 湯浅道町広いよでせまい、横に車が2挺たたん。 広も千軒湯浅も千軒、同じ千軒なら広がよい。 殿のお手でもたたけば痛い、まぜの風でも吹きゃ寒い。 麦打ち唄 から棹という道具で麦の穂をたたく。 (カラサ打ちという穂の「ノギ」などが身体について「はしかい」5月ごろの作業であった。 早くねえさん麦打ちしもて、いこら田村へ批把とりに。 ここの麦打ちゃ皆めん鳥か、刻を知らぬか歌がない。 麦のあら打ち世帯の始め、えらいものかよこれ程も。 歌をうとうて麦打すれば、いくらはしこても面白い。 面白いぞやから竿打は、下手にまわせば身にあたる。 米つき唄(からうす) やれこいよどこいさのよ 今夜は1晩1斗5升入れて よめと姑と小姑と。 わしとお前は硯と墨よ、すればするほど濃くなる。 はやくこの米おやしてしもて、ぬくいこたつへはいりましょ 臼にあるのは3升やけれど、踏んでくれたら5升になる。 唄いなされよお唄いなされ、唄うてごきりょが下がりゃせぬ。 みかん取歌(江島節) 沖の暗いのに白帆が見える、あれは紀の国みかん船。 お茶は駿河の上等でござる。みかんは紀州の有田もの。 今度いんだら持てきておくれ、有田みかんの枝折を。 江島新之丞は6合(又は禄俸)に離れ、池の小鮒の水ばなれ。 有田よいとこ蜜柑どこ、茶どこ、娘やりたや聟ほしや。 きんかん取唄 寒いさむいの北風よりも、殿の口説は身にしゅんだヨウ。 みかんきんかん酒のかん、子供にようかんやりゃ泣かんヨウ。 地づき唄(石づき唄) サーヨーイ ヨーイヨイヤナ 今日は日もよい日柄もよろし それにつけては御当家様に 地しめじゃという おめでたござる。 それにつけては諸君子様よ お忙しいのもおいといなくに どうも今日御苦労様よ ご苦労ついでに願がござる わしの願はよの儀ではなし やとせやとせの2度目の時にはやしはりあげ つなかいこんで こいとひきあげ ゆらりとはなせや 地面しまればお家の強み さすれや施主もさぞうれしかろ。 これから「くどき」の文句になる。くどきは盆踊歌、3吉おどり(春駒)など共通のものである。 池普請の唄 池の土堤を大勢で大きな横槌を振り上げて打ちかためる作業。 ヨーイヨーイヨイトナ ソラヨコラヨ ソレヤーヤートセーヤートセー 今日はナヨー 日もよし天気もよいで ヨイヨイ皆そろうて槌振り上げて ヨーイヨーイ ヨイヤ わしのなあよ音頭はちうちよ(下手で躊躇する意)でござる。 とどきませんがすみずみまでも ヨーイヨーイヨイヤナ そこのなァョところはおのおのがたよ ヨーイヨーイ あわぬ所はあわしてたのむ ヨーイヨーイヤナ それじゃここらで文句にかかろ ヨイヨイ 紀州木の国荒川粉河 ヨーイヨイヤナソレヤヨコラヨヤートセーヤートセ おまん包むは竹の皮 わしのナーヨ言うことうその皮 ヨイヨイヨイヤナ ここらナあたりじゃあの有田は ヨイヨイ 有田川筋みかんの名所 ヨーイヨーイヨイヤナむかしナァ むかしのナ そのまた昔紀の国文左という人がいて ヨーイヨーイ みかんナ船にて山ほどつんで ヨイヨイ 嵐の中おば江戸へと向い ヨーイヨーイヨイヤナ 今でナ言うなら神田の市場 ヨイヨイ うれるようれたよ 飛ぶよに売れて ヨーイヨイヤナヤ こばんナ千両は夢の間ともうけ ヨイヨイ名高い名高い文左エ門じゃ ヨーイヨイヤナソレヤヨコラヨコラヨヤートセーヤートセ ここらナァあたりで文句をやめて ヨイヨイ もはや槌音よい音がする ヨーイヨーイナー そこでおのおのかくごはよいか 待ちとまたれたひょうたんをだそうか ヨーイヨイヤナー ひょうのひょうのひよこだんじやヤッショイヤッショイヤッショイヤッショイ ヨーイヨーイヨーイヨーイ (ここで1服にはいる。その際、音頭取りは次の文句をとなえる。) 猫にかつおぶし男におやま、蜜柑つゝくなヒヨのひよこたんじゃ。(一同がそのあとへヤッサイへヤッサイへヤッサイへヤッサイヨウイヨウイヨウイとつづけて道具を置く。) 子守唄 子守歌はなつかしいものである。しかし今日ではもうこれも歌われなくなった。昔はたいていの家庭は子どもの数も多かったので、そして保育所や幼稚園があるわけではなし、いきおい忙しい母に代って、姉や祖母が幼児の守りをした。そして貧しい家ではまだ女中にやるには早い小女を、ロべらしに、子守奉公に出すことが多かった。泣く子の守はつらいものである。やがて子守自身も泣けてくるし腹も立ってくる。メロディーや文句に哀調のあるゆえんかも知れない。 ねんねしなされよしなになされ、朝はとうから起きなされ。(ヨーバイバイとはやす。) ねんねしなされまだ夜はあけぬ、あけりゃ お寺の鐘がなる。 ねんねころいちねた子は可愛い、起きてなく子はつらにくい。 ねんねころいち天満のこいち、大根たばねて舟につむ。 船につんだらどこまでいこうに、いずみなんばの橋のした。 ねんねねた子に赤いべべきせて、起きてなく子は縞のべべ。 この子可愛いてゆするじゃ おない、めしの種じゃとおもやこそ。 竹の丸橋2度わたるとも、かかるまいぞよあに嫁に。 紀州紀の川荒川粉河、おまんつつむは竹の皮。 エライもんじゃよ殿様ごとは、紀州紀の川米でせく。 わしら野に咲く1重(よ)の椿、8重(やよ)に咲く気はさらにない。 ねんね根来のかくばん山で、としよじ来いよの鳩がなく。 ねんねのお守はどこへ行た、あの山越えて里へ行た、里のみやげに何もろた、でんでん太鼓に笙の笛 (このあとへ、なるかならぬか吹いてみよ、とつづけるのもある。) 泣いてくれるな泣かいでさえも、たたく、ひねると思われる。 守よ守よと沢山そうに、守も1役大人役。 長持唄 (荷入節ともいう)嫁入のときの唄、門出のときにうたう。 目出度目出度の若松さまよ 枝も盛之る葉も茂る 祝おて行きます このお荷物は いたらきやせんもどりやせん うちのきょうだい ふたおやさんに 長のお世話のいとまごい。 婚家へ到着すると、 目出度目出度の若松さまよ 枝も盛える葉も茂る 祝い目出度のこのお荷物は 来たらいにゃせぬ もどりゃせん お前百までわし99まで ともに白髪のはえるまで。 などめでたい文句を上手にうたいこんで、なかには即座に荷物1つ1つに似合った文句を歌によみこんだり、やがて「傘の骨ほど数あるけれど、ひろげてさすのは唯一人」てな具合になってくる。 春駒唄(3吉おどり) 正月、玩具の馬の首に鈴をつけ、色布切で飾りつけしたものを手振身振り面白く、あたかも馬がおどり込むようなしぐさをして、家々を廻わって物乞いをしたときの歌である。正月だけのもの、威勢がよいのとで、物乞いであったが、人気があった。この歌を面白半分に真似する若い衆もあった。 乗り込め乗り込め 乗ったよ乗ったよ乗ったる拍子はハヤドードードー お家めがけて乗り込む駒はハヤドードー 駒も勇めばお家も繁昌、うちのかかりを、ちょっとながむれば4方白壁8つ棟づくり(以下口説にかかる、文句は盆踊りの文句などを転用したりした。) 伊勢音頭 はやしがにぎやかで唄を知らぬ者もついて行ける。とくにめでたい酒席では必ずといってよいほどにぎやかに歌われた。 サアーヨウオーイサー工 酒はのめのめヨイヨイ、何石なりと、サァーヨーイセ、コリャーセー酒手ナァーエ はらいはヨウーイ、ソーリャ施主がするよ、ソーレイヤートコセエーヨーイヤナー、ハリバイヨコレバイヨー、 ソレヤーヨーイヤナ。 ここのお家は前から繁昌、今は若よで尚繁昌。 腹には4海の波ふかし、尾は扇の形なり、扇めでたや末繁昌(海老の姿になぞらえて。) めでためでたのこの杯は、なかはナー鶴亀五葉の松。 わしらうれしや思いがかのて、鶴がごもんにと巣をかけた。 お前百までわしゃ99まで、共に白髪のはえるまで。 雑の部 どの歌にでも流用転用されたり、うたというより地口や語呂合せのようなものもある。またうたにならぬ文句もある。 畑にコウブシ田にヤガラ、00の口口口なけりゃよい。 コウブシ、ヤガラともに厄介な雑草。00に地名を、口口口に人名をいれて悪口をいったもの。 しょうでしょうなら、しょうほう寺、おけちのあたりに、うんこう寺。 正法寺、気鎮社(おけちさん)、雲光寺ともに町内にある寺と社。その名をけしからん語呂合せにしたもの。 なんにも名島ののうねん寺。 名島の能仁寺は有名な大伽藍であったのが衰微して今は何も無いわびしいものになっているから。 わたしゃあなたに「ホーレン草」はよう「ヨメナ」にしておくれ。 津木つづろに米のめし。また、津木のつづろ餅とも。 津木はたとえ、つづろを着ていても喰うものは米の飯だった。また、よく餅をつく。 わしら熊野街道の馬の屁をかいでおきなった。 またはおとなになった、財をなした。熊野街道往還をゆききする 人馬の賑々しさが想像される。 月の7日と日の9日と、殿サ行くなよ深山へ。 正月の7日と毎月9日は山の神の日であるからとの注意から。この日に山に入ると崇りがあるという。 油高いのでよいから寝たら、米が高いのに子ができた。 生活の機微を唱いたて妙をえている。皮肉と自嘲ともとれる。 詣りたいぞや小山(おやま)の権現、有田日高を見下しに。 小山(雄山とも)は有田日高両郡に跨り旧早蘇村と津木村との境にある458峠の山で眺望がよく、神社合祀以前には、小山権現社と高山寺があったところ。広南広地区では、山上(大和大峰山)へよう詣らぬ者は、小山詣りでもせよとの言葉が残っている。 南部牛追節 熊野街道鹿瀬峠往来で、牛を追いながら唄う南部節である。 いなかなれども南部の国は西も東も金の山 川口3千石お米の出場所つけて納めるお倉米。 抗打唄 このうたは明治中期に広橋の架替えの際に聞いたのが最後であったという。 いたら見てこら尾張の城の金のシャチホコ 雨ざらし。 盆おどり唄 盆おどりは敗戦後全国的に盛り返したようであるが、昔の歌や踊りはだんくすたれていくようである。流行の歌謡曲を拡声機で流しておどっている。湯浅広地区には「ぞめき」といって踊りの一団が、渋うちわをたたいて拍子をとり歌いながら道路を踊り歩いてまわったのと、適当な広場で太鼓の拍子にあわせて、音頭とりが、かわるがわる高台に昇って美声をはりあげる。その廻りをぐるりととりまいて踊り子たちがまわり踊る。 この2つがあったがともに今はすたれゆきつつある。 ぞめき唄 (踊りながら町を歩く) ヤットコマカセヤ トコマカセ 盆の14日に踊らぬ者は ヨイトセ 猫かねずみか空とぶ鳥か しょうがー え サーヘ チョコウ スリャヨ とこさんでしっかりショヌイタリ サイタリショウガ ナイカ ショウ ガノエー。 ヤットコマカセヤ トコマカセ みんなうたえや声はりあげてヨイトセー年に1度の この盆おどり しょ うがーえーサーヘーチョコウ スリャヨ とこさんで、 ヌイタリ サイタリ ショウガ ナイカ、ショウガー 工 とこさんでしっかとしょ ヤットコマカセヤ トコマカセ わたしゃ湯浅のかるもさんに ほれてヨイトセー前が毛無しとは知らなんだ しょうがーえーサーへーチョコウ スリャヨ よいとこさんじゃ ヌイタリサイタリショウガーエ 口説 (1例)広場で輪になって踊る。 前唄 そりゃ出たありゃ出たとんで出た 出たこと出たけど幼少なもので さきの先生のようじゃないけれど 煙草のむまにさ湯あがるまに さればこれから文句にかかる かかる文句は荒川筏どこで切れるやら 離るやら 切れたところはつないでおくれ ぬけたところはつかんで入れて ぬけ目きれ目の処をたのむ されば棹さし乗りかけまする どうか皆様よろしくたのむ かかる文句は何かと問えば 鈴木主水白糸くどき悪声ながら読み上げまする。 ロ説 (鈴木主水白糸口説) 花のお江戸のその傍に さても珍し心中ばなし 所は4ツ谷の新宿町で紺ののれんに桔梗の紋よ 音に名高い橋本屋とて あまた女郎衆のあるその中で お職女郎の白糸こそは 年は19で当世育ち 愛嬌よければ皆人さんが 我もおれもと名指して上る わけてお客は誰よと聞けば 春は花咲く青山辺の 鈴木主水というお侍 女房持にて2人の子供 3つ5つはいたづら盛り 2人子供のある其の中で、今日も明日もと女郎買ばかり 見るに見かねて女房のお安 わたしゃ女房で焼くのでないが 19、20の身じゃあるまいし 人に意見する年頃で やめておくれよ女郎買ばかり 金のなる木は持ちゃすまい どうせ切れるの6段目には 連れて逃ぐるか心中するか 2つ1つの思案と見ゆる それじゃ2人の子供はふびん 子供2人と私が身をば 末はどうする主水殿よ いえば主水は腹立顔で おのれこしゃくな女房の意見 おれが心で止まないものが 女房ぐらいの意見で止まぬ ぐちなそちより女郎が可愛い それがいやなら子供をつれてそちが里へと 出て行きやがれ 愛想づかしの主水の言葉……私の音頭は末長けれど 下手な文句じゃ末とげませぬ ここらあたりで止めおきまする………(このあたりまでくると次の音頭とりが交替すべく控えている。すると口説の文句をやめて詔介の言葉を入れる。) ここへ来たのは私の先生(又は兄貴)、声というたらウグイスで、節というたらホトトギス、どうぞみなさんよろしくたのむ……(音頭取りが傘をさしているとき、もともと形式としてはこれが本来の姿である、こういうてナァ渡すよこのからかさを、で交替となる。) おどりもたけなわになってくると、人の輪が2重3重となってくる。音頭とりの文句の間に、おどり子みんなで、はやしを入れる。はやしは同じ広川地区でも字別によって多少のちがいがあった。「ドッコイサンデナー コリャ ヤレサンデナーコリャ」など。 踊りは簡単な手ぶりだが、くり返しているうちに無中になって明け方までもおどりつづけることもあった。 また音頭とりに対しては、のど自慢コンクールのように、順位をきめて賞を出すこともあった。これを幣取りといって、金紙や銀紙の御幣に金1封を添えた。また口説の文句はいろいろあるが、よく歌われたのは前記「鈴木主水白糸くどき」 「石童丸苅萱くどき」 「阿波鳴門順礼くどき」 「小栗判官照手姫くどき」 などに人気があった。 児戯唄 歌とは厳密にいえまいが、こどものあそびに言葉をそえて、節をつけて唱えるやはり広い意味では、「わらべ歌」であろう。 (子供の遊びの項参照) トンボたかれ、蠅を喰はしょ。 トンボを捕えるときに唱えごとのように言う。手を大きくまわしながら、とまっているトンボに近づき、んだんまわす手の半経をちぢめてゆく、トンボが目をまわして捕えやすくなる。 ホウホウ螢こい、あっちの水はにがいぞ、こっちの水は甘いぞ。(螢がりのとき夜道をあるきながらうたう。) アリよこいドモアリこい。だんなも、でっちも、みなよんでこい。また、アリよこいドモよんでこい、いっちのだんなもみなよんで来い。 アリの行列をみつけて、虫の死骸や菓子の1片をやると、すぐアリがむらがる。アリの中の大型な戦斗アリがやってくる。これをダンナといい、その協力を求めるのである。(ドモは大型のアリとも、友とも。) おなつ(または、おさん)布織れ赤いべべきせよ。(また、1反織ったら休ましょ。) ハタハタ(ショウリョウバッタ)を捕えて長いあと脚2本そろえてつかむと、身体を上下にゆすぶる。それさせながらうたう。 マイマイコンコ マイコンコ 目もうたらやいとすえよ。 マイマイコンコは「水すまし」の幼児語、きりきりまわるのをはやしたててうたう。また幼児が自分できりきりまいをして目がくらみふらふらするときにもうたう。 オガメトウロウ おがまな殺ろそ。 オガメはカマキリの方言。カマキリの細い胸の所をつかんで、前脚のカマを交互に動かさせてはやす。 尻振りお松尻振ってみせよ。 セキレイの方言。尻振りお松。また、おまん尻振れともいう。ピョコンピョコンと尾羽を上下に動かす動作をうたう。 ツバクラ土喰て、虫喰て、口しぶい。 燕の鳴き声をまねる言葉でもある。 トンビとうとう戸たたき カラスかあかあかねたたき。 カラスかあかあ勘三郎、スズメちゅうちゅう忠三郎。または、カラスかあかあ勘三郎、親の恩を忘れるな、とも。 (カラスが群れて飛ぶのに)サオになれ、ツルべになれ、あとのもの先になれ、先のものあとになれ。(これは雁の渡りのときの歌とも。この地方では数十年来、雁の渡りは見られぬからカラスになったのか。) エビ尻赤い、猿の尻りゃ、ぎんかりこ、猫の尻灰まぶれ。 雨がしょぼしょぼ降る晩に、マメダ(小狸)が徳利もって酒買いに。(酒屋のかど店前)ビン割って、おまん3つで泣きやんだ。とつけることもある。) 牛もう鼻切れ、牛もう鼻切れ、牛もう鼻切れ(牛が通ったときはやしたてる。) コウモリ来いぞうりやら、ぞうりいらにゃはだしで来い。 夏の夕ぐれコウモリが群らがって飛んだ。子供たちは、ぞうりを投げ上げてコウモリを落す。めったに当らなかったが。 牛モウ鼻切れ、親にモウやかして、まだモウモウよ。(幼児に牛を見せて親や守りらが、となえてきかす。) おけ屋コンコロコン朝晩茶粥、ときによったら昼茶粥。 チッチここへ止まれ 止まらな飛んでいけ。(幼児の両手を動かせてうたう。幼児はよろこんで両手をふる。チッチは小鳥や虫を指す幼児語。 子供は風の子、ぢぢばば火の子。(寒い冬の日子供を元気づける。) お多福3ふく、風が吹きゃ4ふく。(子供同志のからかいの言葉。) 坊士ぼっかい法螺の貝、1日吹いたら米5合(また、中割ったら鳥の糞とも。)山伏が通ったりしたとき遠くから、からかったりした。 坊さん坊さんどこへ行く、あの山越えて酒買いに、あたいも1しょにつれてくれ、お前らつれたらじゃまになる。カンカン坊士カン坊士。 キンカンもろたら実やろか、ミカンもろたら皮やろか。(または、おまんもろたら皮やろか、とも。) ジかモか。(硬貨を手でかくして、相手にジ即ち文字のある面か、モ即ち絵の方かをあてさせる。) 押せ押せゴンボ出た子はまま子。(冬の日、日だまりの場所で子供たち大勢で押し合いをして身体をあたためる。) 草履かくし浄念寺、ねずみの穴へ、米倉たてて白豆黒豆煎ったんとん(うたいながら草履のかくしごっこをする。) 石かくしかなんど ねずみの穴へ白豆黒豆いったんとー。 おにごとするもの(何々するもの)この指たかれ。(子供たちの集りで、1人が指を高くあげて、かくとなえると、参加希望者はその指や腕へ寄ってくる。) ひにふにだー だまこのコー 夜も昼も 赤いずきん かぶったとー(大勢の中からオニをきめるとき1人1人数える言葉。最後のかぶったとーが当ったものがオニになる。) 福、徳、幸い、貧乏、金持。 (子供どうし着ている衣類を数えて、1枚のものには福があり、3枚着ているものは幸いありなどとたわむれる。) 1が刺した、2が刺した、3が刺した、4が刺した、5が刺した、6が刺した、7が刺した、8(蜂)が刺したークモが刺した。(手の甲を人1人交互につまみ、下になったらまた上の者の甲をつまんでいく。蜂が刺したできつくつまむ。つままれた者はすかさずクモがさしたでやり返えす。火鉢に向合って当りながら、きょうだい同志でやって幼い弟妹を泣かせたりした。) たんす長持、どの子が欲しい、あの子が欲しい(名指す)いんで何食わす、小豆飯に鯛よ、そりゃカンの毒よ。いんで何はかす、草履買うてはかしょ。バタバタいうて悪いよ。せきだ(雪駄)買うてはかしょ。チャラチャラなって悪いよ。 お手玉唄(おさだ) お1つ お1つ落しておさだ お2つ お2つ落しておさだ お3つ お3つ落しておさだ お4つ お4つ落しておさだ お手のくぼ お手のくぼ落しておさだ おはさみ おはさみ落しておさだ でんでん虫 でんでん虫 しいづしづしづおしづ 大胸 大胸乾かしておさだ 大袖 大乾かしておさだ お袂 お袂かわかしておさだ お手の手 お手の手 乾かしておさだ 小さい橋こえましょか 越えたおさだ 大きな橋でも越えましょか 越えたおさだ お1ちゃんのおみのけ お2ちゃんのおみのけ お3ちゃんのおみのけ お4ちゃんのおみのけ お5ちゃんのおみのけ お6ちゃんのおみのけ お7ちゃんのおみのけ お8ちゃんのおみのけ お9ちゃんのおみのけ 豆腐屋のとらさ 一貫しょ 2貫しょ 3貰目のお玉かくし。(この歌をうたってするしぐさはなかなかむつかしい。色々の所作事がはいる。ただ簡単に上へほうり上げて1つが落ちてこぬまに次の1つが上るといったいわゆる手玉にとるときは、テンポの早い歌をうたいながらする。) 手まり唄 とめ十(とう)でいて来いよ。(突きながら相手へ渡す) (うけて突く)おいとうよう来たな とめ20でいて来いよ(相手にわたす)おいとよう来たな とめ30でいて来いよ。(突きながら相互にくり返して40、50とすすんでいく。 この間まりを受けそこなったり落したら負け。) 孝行村の中村の 中村名主の一ちょ娘 年は16名はお仙 お仙の友達49人 49人の友達は今朝も早よから奥山で 仏の信念菊の花 1分の煙草に2分の煙草 3分の煙草に火をつけて それをお仙にさし出せば お仙はいやじゃとかぶりふる 12345678 太郎の車はよい車 太郎を乗せて走り行く とうとう東京につきました つきました。 1文目の1助さん いの字がきらいで 1万一千1斗石 1斗1斗1斗米の お札を納めて2文目に渡した。(相手に渡す)2文目の2助さん にの字がきらいで 2万2千2斗石 2斗2斗2斗米の お札を納めて3文目に渡した。(次の相手に渡す) 3文目の3助さん 3の字がきらいで3万3千3斗石 3斗3斗3斗米のお札を納めて4文目に渡した。 (以上10までつづける) あの向うに火がともる 月かへ星かへ蛍かへ 月でも星でも御座らぬよ お菊の嫁入提灯 で赤い提灯7張に 白い提灯7張に ほうづき提灯7張で 赤い小袖も45枚 青い小袖も45枚 白い小袖も45枚 帯は幾筋45筋 惟子何枚45枚 傘何本45本 日傘何本45本 雪駄何足45足 これだけこしらえやるからにゃ もどってくるなよお菊さん わしももどろと思やせん 向うの殿さの気も知らず しゅうとご様の気も知らず それを知らねばおせちゃんしょ 朝は殿より早う起きて 44枚の戸を明けて 44枚の障子しめて 裏へまわって手を洗ろて ちゃんちゃん茶がまへ茶々いれて 1くべたいてもお茶わかん2くべたいてもお茶わかん 3くべめにお茶わいた お母さん起きてお茶あがり お父さん起きてお茶あがり 7つのいとさん言うことにゃ お菊のわかしたお茶いらん それからお菊が腹立てて はだかはだしでとんで出て 1山越えてもうち見えず 2山越えてもうち見えず 3山越えたら家見えて お母さん来たからあけてくれ お菊が来るのを知ったなら 赤いおかごで迎えようもの 白いおかごで迎えようもの 赤土ふました子ではなし 黒土ふました子でもなし ノウ子ではない。 ひいふみいよ いつむう ななや ここのとう (1、2、3、4、5、6、7、8、9、10) ひいふ………ここの20 (9の20) にいふ……ここの30 (9の30)(順次日にいたる) 日高の鐘巻道成寺 つり鐘おろいて身をかくす 安珍清姫じゃに化け天まり。 (最後の1突を強く、まりを高くつき上げて、くるりと1まわりしてつづけて突く、まりを高くつき上げて、くるりと1まわりしてつづけて突くか、相手に渡すかする。) ほうねんじょうの尻まくり、落したらまくられる、落さぬように、しっかり受けなされ、(相手が取りそこねて落すと尻をまくりに行く。) 以上は子供の遊びに唱えるうたや口ずさみである、「子供の遊び」の項と重複する所があろうが、また相おぎなう点もあると思うので参照されたい。しかし今の子は、だんだんこんな遊びもしなくなり、したがって、となえる言葉も歌もわすれてしまっている。 唐尾の唐船唄 町内の唐尾、西広、山本、池ノ上、和田は、昔はそれぞれの1つの村であった。この5ヶ村が氏神として奉仕してきたのが、乙田天神社である。明治41年にこの神社は広八幡神社に合祀されてしまうまで、毎年10月25日の乙田のまつりといえば近郷でも有名であった。 祭礼には乙田の鎮座地から、白木の浜まで渡御行列をするのであるが、道中の路は狭く、白木坂も越えねばならぬ。この渡御に、西広と池ノ上からは「ダンジリ」を出し、唐尾から「唐船」というものを出し、地元の乙田からは獅子舞が出る。もちろん騎馬武者行列も出る。 これらがひしめきあいつつ行列するのでしぜん先頭争いなどおきて騒ぎ出し、ますますお祭気分も盛り上るし、近郷近在からの大勢の見物客も混って、大変な賑いもみせたものであった。(唐尾はカロ、唐船はトウブネ、乙田はオトンダと呼ぶ。) 唐船は、今詳細はわかりかねるが、いはば漁船の模型のようなもので、長さ約3間、幅はこれに準じ、全体をうすい青色に塗って、これを6人の者がかついで歩く。この舟をささえ、かつかつぐをチョウサイ棒といった。この舟の動きにつれて唄がうたわれる。それが唐船唄である。うたい手は2人、音頭とり1人、うたい手が息を入れるあいだに、音頭とりが即座に1句をうたいこんで、あとが出やすいようにした。神前や出発の際は長く引っぱってうたい、路上や途中小休止のさいは短くうたう。うたは今では78才と87才になる2老翁しかうたえる人はなく、祭りの当日この歌を聞いたことのある人さえ数少くなっている。 うたの文句も特に書留めておいたものも見あたらず、昔からうたいつがれてきた文句を前記2人の翁の記憶をたどって聞かせてもらったものである。意味不明の箇所もすくなくないが、かくのごとく唄いつがれてきておるのである。 皇帝 われは異国の皇帝よ、かてき、てんじょう王の、大池のおもを見渡せば、秋風に散る柳の葉、水に1葉、ちんつぶ浮ぶ、糸ひき渡る 皇帝、げきしゅんとエイなづける。 (この唄はよく見物人から所望されたという。) やまもも 山を通れば やまももおしや 身をばなげかけ ゆすらばおちる おつるがおつるが葉ばかりおつる。 五葉万年 ヤァめでたいなァ えーいちよう 今日のめでたうた ちいでて五葉万年 松坂むしエイ5条 花の盛りかな 見てこそ通る エイ吉野月に7日のいちとかや しるもしらぬもンしー 冬わさん 冬わさん ゆきのげさん ふゆはよはゆうきに にんいひーほしのきくのだん 思うかたきを打取りて 弓矢袋をいださずに つるぎは箱におさめおく えーいちょう きょうの めでとうに おめしなされ若君様え―い末代。 高見峠 高見峠にあがりつつ 権現様を伏拝み もはや谷をば すぎたにの くだり鈴鹿の坂の下 関の地蔵を伏拝み おにげの茶屋もこんれいとうかな。 唐尾の唐船 やんいりにはよいみなと いりんには ほうふのよいみなと 松はえーいさァかいの え―いかろんほー やんでめでたいなァ いりんみればほうふうの よいみなと 枝もえーい さァかいえ―い かろんほう。 浜松よ波を枕にねちんとすれば 磯の小波にゆりおこされる。 (この3つの唄は祭礼当日自村を出立するときうたう唄) 天気よければ ふふねにめす ろうもやすめて のんほー。 (これは時には唄うこともあり、唄わぬこともあった。) 雨乞踊唄 自然相手の農業は、順気のよいことをひたすら祈り期待したものである。特に米作中心であった昔は、旱魃こそは最も恐るべき大敵であり心痛の種であった。いよいよ最後には神仏にお願いするより外に手がなくなってしまう。 神前や仏前で雨乞の祈願をし、雨乞踊りを奉納して雨を待つ。大旱魃の時は、藩主からも、各地の神社仏閣に雨乞祈橋をなさしめ、金品などを下賜するのが例になっていた。わが広川町の昔の村にも、この雨乞を行ったが、踊りのつたわっているのは少い。 旧南広村上中野地区には、広八幡社のシッパラ踊り(これは農作の無事を神に祈る田楽であり、時には雨乞にも利用された。)と、これとはまた別に雨乞踊りがあり有名であった。昔からひきつづいてきたのであるが、雨乞のほうは、昭和14年を最後として止んでしまった。それでこの踊りの手振りや、唄などを古老のなかにはまだ記憶している人もある。唄の文句は、幸い書き留められたものが残されている。(明治17年書写) もともとこれらの唄の文句は、古くは朝廷から地方農民に下賜されたものとか、京に上って、公卿や学者などに依頼して作詞してもらったものとかいわれている。それで土地にふさわしくない文言など出てくるうえに、言い伝え、また書き伝えするうちに訛ったり、意味が転化したり、今ではなにが何やら判断に苦しむ文句もあるが、全体としては優雅なめでたい歌詞である。 雨乞いの行事はそれぞれの土地によって違っているし唄われる歌詞も異なっている。服装なども、派手なものや、質素なものなど、まちまちであるが、上中野に伝わるものはどちらかというと地味なものであった。 人足役割 棒振役 (獅子面かぶり) 1人 実坊1 (唐うちわ) 1人 短冊振 1人 山伏 (負いずる) 1人 音頭取 (白装束) 4人 太鼓打 (白装束) 1人 太鼓持 (同 ) 1人 踊役 (裃、笠、大うちわ「雨」とかく) 24人 警護 2人 村役人 1人 神なり (雷) 1人 水打 1人 以上で構成されかなりの人数になる。場所は広八幡社の舞台を中心とするその周辺である。踊りの期間は、その時によって一定していないが、たいていは7日間ぐらい踊りつづけたようである。踊りの歌詞は次のようである。 いりは ここは住吉の御前でござる いさや若い衆立ちて宮めぐり 初て神をすすめしの御湯参らす (ふんなりとんいよとんー太鼓) たかす返りはものうきものよ 松のひまより海づら見れば 沖のる船はやら(よう)見事(ふんなりとんいよとん) 沖のかもめと磯打浪は 夜明の鐘はものすごい (みんなりとんいよとん) 扇の手 月は東に日はにん西に おれが殿御はあのしん嶋に 嶋におりたやほそしん嶋に肩にたごおき手につんつるべ 井戸によりそへ小歌なげぶし(まいれ まいれ まいれ まいれ まいれ まいれ まいれ まいれ まいれ まいれ まいれ) 捧振(の言事) とうさいく とうさいく 当年は 長い照続 養水 不足致し 5穀実のりかたなき 故 組下惣代として 17日之間 惣方様へ 雨乞御行う 申込 今日は 初めとして 相勤申 願は大雨 大雨 大雨 新坊一(の言事) とうさいく とうさい さてそれかしは これこれ所の しんぼう1にて候 只今 相勤め ますは八幡様へ 雨乞踊りを 1踊り 行い仕上ります 中でおんどうとり おこう打たんじゃくなふり このしんぼう一も はやし申 やと ゆはば はと 云て 皆御立あれ やあ ゝ 。 おんどう みなあいちりり うにをならびあれ あまごいおどりをひとおどり イャイャ。(てんてんてんてん 太鼓) 雨乞踊(八幡様へ) イヤ人間わざにて 雨乞すれば 神のいとくヤラとう ゝ イヤ神のいとくもやら ゝ (しょが入 とろゝ ゝ ゝ はとゝ ゝ ゝ それはらはとば) イヤ空をはるかにながむれば イヤ空をはるかにながむれば イヤ天なるほうし(星)が皆入たく (しょが入―) イヤぐるりぐるりの山見れば 見れば 峰より霧りが まい下るまい下る (しょが入―) きりのあとを、ながむればながむれば イヤ黒き雨は さんさとなりてふり来る ふり来る 向いな山からしぐれはして来て 見物諸衆ぬらしたささみさァ (ちゃっさり きとき) 御門踊(すさ明神様へ) イヤこなたの御門を けさこそ見たれ ゝ イヤ白金はしら黄金のたるき イヤふいたる板も皆 黄金黄金 (ちゃんちゃなしからりかきりか ゝ ゝ ) 其またわきのついぢを見れば 見れば イヤ白金黄金を積立つんで 黄金のつたがはえさがる ゝ (右同じー) イヤこなたの おでいじょ今朝こそ見たれ見たれ かんすも黄金ちゃわんも黄金御茶びしゃくも みな黄金黄金 (右同じー) こなたの若い衆はめしたる笠は笠はイヤ 上はれんこう 野中の小すげイヤ 笠骨などはうつろぎの山の7本の竹 とんぼは京の唐糸よ ゝ むかいな野べでなく鹿はさむさでなくか 妻恋するでなけれども74人のかりうどに かりこめられて や とめてたもれ 福の神さあさ ゝ みさ ゝ ゝ ゝ。 柳伊豆踊(大将軍へ) イヤわしの殿御は やないずで やないずでイヤ黄金玉を3つ拾て 1つの玉はイヤ坂東へ納めおくおさめおく。 (ぱららゝ ゝ ゝ ぱと ゝ ゝ しぱらばとぱ さて ゝ ゝ ゝ ゝ やい) イヤあと2つの玉をば方8丁へ納めおく おさめおく イヤ京雀京雀イヤ京の稲穂をくわえ来て イヤ御所の御庭で8ツ想に8石8石 (右同――) イヤ8穂に8石取ならば 4方に4万の蔵を建て 8方に8つの蔵 今まいらするやないずへ 柳伊豆へ (右同―) イヤーにうぐいす 2につばくら 日も暮れる 日も暮れる 道の小草に露が浮く おいとま申ていざもどる いざもどる。 (この間しょが入) イヤ恋しかござれ 願うてござれ ござれ おも入れ人のね所へ ね所へ (この間しょが入) イヤ思いれ人にきせたい物は きせたい物は 丹後つむぎ さつまのねよぎ 伊勢あみ笠のはつとんぼ はつとんぼ。 (この間しょが入) イヤ伊勢あみ笠のやれるもおしや おしや、おもいれ人の笠なれば 笠なれば。 御浜踊(龍宮様へ) イヤやらおもしろや おもしろや 浜のおりとへ打出て見れば うき舟うき舟。 (この間しょが入) イヤやらうき舟のとものあたりを ながむれば ながむれば イヤ諸国の宝をつんました つんました。 (この間しょが入) イヤから木柱や からき柱や 手づなみなわ ことの糸、イヤにしきの帆を巻きあげて、まきあげて。 (この間しょが入) イヤーの間には1の間には白金積して 2の間に黄金をつました つました。 (この間しょが入) イヤ3の間には3の間には 船頭殿の御すわり所へ4畳をしかした 双6ごばんがやら見事 (この間しょが入) 先頭に戻る 民俗資料篇 その21、年中行事年中行事といっても昔から今も行なわれているもの、今ではもう絶えてしまっているもの、絶えたとは言いきれない僅かだがその形骸があるもの、実際にはもう行っていないが記憶の中にあるもの、全然忘れ去られてしまったもの、地域によって行っている所と既に無くなっているものなど、いろいろあるが、われらの生活様式、衣食住の変化によって、昔からの年中行事の意義やしきたりを変えさせてしまうことはさけられぬことだが、行事にはそれなりにそのいわれがあった筈である、その意義が忘れられるとたんなる形式となり、やがてわけの知れぬ形式は馬鹿らしくもなってくる。 生活様式も、合理的で科学的な処理方法が要求される近代化の波は、1そう古いしきたりなど無意味なものとされてしまいがちになる。 しかし年中行事というものは生活様式の変化にともなって、また新しい行事が生れてくるものだし、形を変えて古いものを新しい型に変化させて復活することも行われてくるものである。 人には懐古の情がある。無用なことだと知りながら1がいに捨て切ってしまうには惜しい気のする何物かがある。また、昔した行事のなかに、その当時の科学や、合理性の含まれていることを発見して、昔の人の生活の知恵とでもいうべき体験の集積されたものをのぞかせているものもある。 ここで、わが地方の年中行事など拾いあつめておくのもあながち無意味でもあるまいと思う。ただし、1つ1つの行事の意義などについて論じるのではなく簡単に記述するにとどめる。われらの祖先が生きていた当時の生活感情や生活様式を知る一端としても多少の―事によっては重要な―手がかりともなり、現状と比べてみて生活の変遷を知ることにもなると思うからである。 今更ことわるまでもないが、昔の生活は旧暦によっている。だから3月3日の桃の節句といっても新暦と旧暦では大きな時季の差がある。新と旧とで1月も年によっては2月近くものずれがあるので、このことも考慮に入れておかねばならぬ。 年中行事は家庭や地域社会、大きく民族間で、その時季がくれば、同じような様式で習慣的に繰り返えされる伝承的な行事で、一般に共通性をもった習俗であって、時によって行わなかったり、参加しなかったりすると、何となく気がすまぬある種の拘束性もあった。 しかし現在は、地域よりも各家によって、厳重に行っているのと、さまで重視しない家とが出来ている。つまり年中行事も、する家もありしない家もあって社会的な拘束性は次第にゆるみつつあるようである。 (ことがらによって、便宜上他の項で記述したものもあるので参照されたい。) 1月 元日 百8つの除夜の鐘が鳴り止むと元日である。戦前までほとんどの寺には鐘があったのでたいていの地域でこの鐘の音を聞いたが、今では鐘のある寺も少くなった。ラジオやテレビで除夜を知ることのほうが多くなった。 若水くみ 家長か長男がその年の恵方の方角へ向いて水を井戸から新しい手桶へ汲み入れ、そのときの唱え言や方式があったが今は知る人もない。水道の蛇口をひねれば水が飛び出てくるのだから―ともかく新しい「若水」を神棚に供え、茶をわかして仏壇にそなえ、家?みんなで飲んで「福茶」といった。それからすぐ氏神様へ詣る人もあるし、年酒を祝い、雑煮を喰べてから詣る家もある。氏神詣は暗い夜のうちから続く。 元日の煮炊き は女は手にふれず男がやった。炊くシバはバベシバ(うばめがし)の葉付きのもので、これを燃やすとパチパチと音をたてて景気よくもえる。 雑煮の材料 は暮れに用意してあるのでそれを炊くのだが(元日はなるべく刃物を用いない)、中味で共通しているのは、小芋(里芋)白豆腐、大根、人参、青菜類、餅でそれを味噌汁にたく、味噌は白か赤か家によつて違うがたいていは白である。膳にのる品は、煮豆(特に黒豆)こんにゃく、ごぼう、にんじん、里芋、くわい、かまぼこの類、ごまめ、高野どふ、しいたけ、数の子、尾頭のついたタイ、または塩サバ、このサバは昔は必ずつけたもので、タイなど高級なものはつけなくとも、サバだけは1人1人の膳に必ずのったものだった。広の町家では、コノシロをつけた。だいたい正月3カ日ぐらいは女が炊事する労を省く工夫でもあったが、それより女に触れさせないことが元であったようである。 しかしバベ柴も今では山家の1部でたくぐらいで、第1「かまど」の無い家が多い、プロパンガスの時代である。年酒は家内中そろって幼年の者から順にいただき、最年長者で納める。この時、盃を上げて「新年おめでとう」の祝言をのべる。トソ酒というが、トソは薬種を調合したもので、この地方では用いなかったもようである。 町家の1部では使用されたというが。正月料理の内容も今では人々の味覚の変化もあって昔どうりでなくなってしまっている。 正月の飾りつけ 正月の神を迎えるという根本的な意義は忘れ去ってしまった今日、飾りつけも形式化してしまっている。 門松をたてることも無くなり、〆縄を張る家も数少くなった。門口や神棚に張った縄を自動車のフロントグリルにくくり付けて走る世になっている。 鏡餅 はたいていの家では飾っている。ウラジロの上に大小2つの餅を重ねその上に、柿やみかん(正式には本みかん)やダイダイをのせ、ていねいな家は、昆布やイセエビなどをのせて飾る。 農具 ウス、井戸、職人であれば道具などに小さな〆縄をくくりつけ、餅を供えたりしたが、だんだんにすたれているようである。 正月のあそび 正月の休みは、1年中最もくつろいで、ゆっくりするから、あそびも平素はしないものがあったが、これもあまりやらなくなってしまった。娯楽の少なかった昔は、半ば公然と賭博やそれに類するものも大目に見られたので、女や子供まで「花合せ」「ほうびき」などで興じたりした。 お上品な遊びといわれた小倉百人1首のかるたとりも影をひそめ、女の子の羽根つきや男の子のタコ上げも、気楽に出来る道路事情ではないので、しぜんすたれてしまう。 もう「すごろく」なども知らぬ子もある。まあテレビの愚にもつかぬ正月番組で時を過ごす者が多くなった。 万才や三吉おどりが飛びこんできたことなど老人の語り草になっている。 拝賀式 戦前まで元日は各小学校で新年拝賀式なるものが行われた。町村長はじめ土地の有志が学校に集合、聖寿の(天皇の年齢)万才をことほぎ、国家の隆昌を祈り、「年の始めのためしとて、終り無き世のめでたさを?の新年の唱歌を斉唱して式をあげた。 正月は、ほとんどが、新暦によっているが、農山村や漁村は生産生活の上では旧暦による方がよかったので、今も旧の正月を重視するところや家もある。地域の申合せで新の正月をした所でも、今日は旧の元日だといって1日仕事を休む所や家もある。 なお普通の家では正月しか使わない注連縄(しめなわ)は、左よりとし、向って右を頭とするのが普通である。近年自家製ではなく、買ってくるのが多くなってきたので、色々な形の変ったものや飾り付けの多くなったものが見られるようになっている。門口へ飾る太い3つよりにしたものも左よりが本式である。今では、いつまでもほうっておいて、自然に風などではずれるまでぶら下げておく家もあるが、本来これは15日にはずして、正月に使った飾りとともに、焼いたのである。 7日正月 7草粥を炊くのだが、「せり、なずな、ごぎよう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ」の7草を白粥の中に入れることは無く、たいてい、なずなと大根(すずしろ)ぐらいで餅はかならず入れる。 十日えびす 広では浜のえびす祭りがある。和歌山市の湊のえびす祭りや、大阪今宮のえびすへ詣る特志家も少しはある。(広では正月より、夏のえびす祭りのほうが盛んなようだ) 中正月 正月15日昔は大切な行事であったが、今では「あずき粥」を炊く家もあり、炊かぬ家もある程度。 ただ新しい国民の祝日として成人式が、町当局が主催して、行われる。またこの日「成木責」をする日でもあった。 藪入り 正月16日、里家のない者は藪にでもはいれ、といわれ、嫁は実家へ帰り、奉公人はひまをもらって里の家に帰ったが、今ではもう無くなったといってよい、ただ農家では、嫁が子をつれて実家に帰る家もある。 なお正月のしきたりとして(旧暦)11日は帳とじの日とて商家では、今年の新しい帳面をおろして、大根なますを食膳にあげて心祝いをしたという。20日は、かがみ餅開きの日であり、各地域では、部落の初寄合をして、その年の役員を選挙したり、水利の水守り賃や、部落共同の作業についての見積りや世話役をきめたり、傭用賃金をきめたりした。これは部落共同体として重要なとり決めであったので今も多少昔と内容は違っていても初集会の名で行っている。 寒のいりこの日、アブラ揚げを喰うと寒中こごえないとの俗信があって、アブラ揚げを飯に炊きこんだ大根飯を喰ったりした。これは24節気の1つの小寒で、新暦では1月5日か6日ごろ、やがて20日ごろ大寒がくる。1年中1番寒気のきびしい時季である。この間に、仏教の宗派によっては寒行や、稲荷神の信者は、神使いの狐を供養するという「のうせんぎよう」と称する行事がある。「こんこんずし」や「あずき飯のにぎり」を作って稲成社や路傍に供える。 また漁村では正月2日に乗りぞめと称して船頭(親方)から乗子一同に祝酒を出した。また消防団の出初式も1月中には行われる。 附記 他の行事もそうであるが、とくに神仏に関係したそれには、また特別に正月行事には、めでたい草木や果実などが飾りや供物として用いられる。それらの1つ1つについては別項「動植物誌」に説明しておいたものもあるので参照ありたい。また最初にもことわっておいたが、新暦(太陽暦)と旧暦(太陰暦)とで月日の相違があるので何月の行事といっても今は新暦によることが多いが、旧暦のことにもふれておいた。 2月 節分 24節季の1つである立春の前の日、俗に年越しともいう。2月4日頃である。この日「いわし」を食膳にのせる。そして大豆を沙って「ます」に入れ神前に供え、夜になってそれを「福は内鬼は外」と唱えて室中まき散らし門口で外へ投げつけピシャリと戸を閉める。豆まきである。ヒイラギの小枝にイワシの頭をさしたものを戸口にさしこんだりしたが今はめったに見られない。またこの夜、持病のある者は人の知らぬ間に4辻へ出て、そっと下帯をはずして落してくると厄がおちるというた俗信もあったという。またこの夜豆をもってお宮詣りもした。(昔の節分は旧暦によるから12月中の行事であった。) 初午 2月初の午の日。(年によって多少日が変る)稲荷神を祭る家では、餅投げをする。またこの日観音まいりをする。それも観音様をまつる寺々を巡拝したりする。しかし子供たちにとっては餅投げが楽しみである。特に厄年にあたる男女は、厄除けの餅とて特別に観音様に供えた餅をまいてもらう。 ニの午 初午は上記の通り賑やかにまつるが、2の午はまつる家もありまつらぬ家もあり特信家は稲荷社や観音まいりをするが、初午ほどの賑いはない。 ネハンエ 2月15日はお釈迦さんの入滅の日で、寺々では涅槃画像を掛けて法会をして信者たちも詣ったのだが、今は忘れられている。町内寺院にもこの画像が残っている。 3月 3月3日桃の節句 新暦ではまだ寒い時期で自然には桃の花どころではない。わが地方での一般家庭では4月3日(しがさんにち)にする習しになっている。 社日 春秋2回ある、というのは春分、秋分に最も近い戌の日(つちのえ)を社日(しゃにち)といって土の神を祭る日で、春は成育を祈り秋は収穫の礼をする。この日は土をさわらない。またこの日太陽に「にぎりめし」を供える。 春の彼岸 国民の祝日になっている春分の日で、寒さ暑さも彼岸までの諺どおり、陽気も春めいてくる。寺詣りをし墓参りをし、だんごを作ったり餅をついたりする「お彼岸のお茶の子」と称した、だんごや餅の贈答をしたりしたが、これは今では止んでいる。 4月 4月3日 しがさんにちと呼ぶ。桃の節句すなわち女の子のヒナ祭りである。もちろん旧暦の3月3日の行事であった。家々では雛人形を飾り、餅、すし(のり巻きや5目飯が多い)、あられ、わかめ、わけぎぬた、貝類などを供え、特に餅は白、赤、緑の3色に染めたのをヒシ型に切ったのを重ねて供える。桃の花をかざる。特に初生の女の子は初節句とて、嫁の親元から人形などを贈る。白酒も飲むのだが、子供にはもちろん向かないので甘酒を作る家もある。華やかな家庭行事である。またこの日山や海辺へ弁当持で出かける人々も多い。またこの晴天であれば、その年は「ひでり」が無く、もし雨であれば夏ひでりがつづくとの伝承があった。 4日は裏節句といい雛あらし、単にあらしともいって初節句の家へ供え物を貰いに廻わる風習もあった、女子供が賑やかに乱入してきて手あたり次第に菓子などをもらって行くのだが、この風はもう忘れられてしまった。 町主催の招魂祭 この月の初めに行われる。 養源寺大黒天開帳 広の養源寺に祀る有名な出生大黒天は、その年の初めての甲子日卯刻(きのえねのひうのこく)に開帳されるので、昔から地方きっての大賑いの日であったが、今日では4月の初の甲子の日に行われるようになって信者の参拝が多い。 灌仏―仏生会とも―花まつり ともいった。お釈迦様の誕生を祝って寺々では小さい小屋を作り、屋根には季節の草花を葺き、その中に天上天下唯我独尊と天と地とを指さした釈迦像を水盤の中に置いて頭から甘茶をそそぐ。 もちろん、これも旧暦であったが、今は名だけになって新暦の4月8日に定めているが、実施している寺はこの地方には少いらしい様子である。参拝した者は昔は竹筒などへ甘茶をいただいて帰りそれで墨をすって「昔より卯月8日は吉日よ神さげ虫を成敗ぞする」と紙片に書付けたものを逆に入口の柱などにはりつけて悪虫の侵入を防ぐまじないとした、今も古い家にこの張り紙の残っていることがある。 この日また「てんとう花」といって長い竹竿の先に、うの花、つつじ花などをつけて庭や門さきに立てる。お天道様(太陽)に捧げるのだという。そしてこの竹竿が他家よりも高く立てると男の子が生れるという俗信もあった。この「てんとう花」は今日も旧の4月8日に立てる家もままみかける。またこの花が枯れるとそれを取っておいて保存し、家出人や牛などが逃げた際、その枯花をたいて煙のなびいた方向を探すと見付け出せるといった面白い習俗もあったというが、これも今は知る人も少くなった。 「卯月8日は花よりだんご」という俗謡もあって、この日釈迦の頭と称する、米の粉に黒大豆の煎ったのを混ぜて作っただんごを喰べたという、これももうその味を知る人も無くなったようである。 5月 5月5日 端午の節句男の子の節句で、菖蒲とかしわ餅がつきものである。のぼりを立てたり、鯉のぼりをあげる。武者人形を飾り、天神様をまつり、男児の成長を祈る。国民の祝日で「こどもの日」と制定された。 菖蒲によもぎ草をそえて軒に上げ、菖蒲ではちまきをしたり、浴槽に入れたりする。かしわ餅やちまきを作る。初めての男の子が産れると嫁の実家から鯉のぼりや武者人形を贈る。だいたい5節句といわれた正月7日の人日。 3月3日の上巳。5月5日の端午。7月7日の7夕。9月9日の重陽のうち、3月3日と5月5日の両節句がマスコミや商業主義におどらされてだんだん形だけが派出になる傾向があるようである。その実質を忘れているから桃の無い女の節句。菖蒲を知らぬ男の節句。星のない7夕節句が実施されているしまつである。 6月 毛付け休み だいたい夏至までに田植えはすっかり終る。 この地方は近年6月の初めが最盛期のようである。田植えがすむと各字で毛付け休みをする。農家休養の日である。 大はらい、夏越祭 6月30日 氏神参りをする。広八幡では、チガヤの輪を作ってそれをくぐりぬけて疫厄をはらう。わごしという。 なお旧6月には、ギオン祭りがあって、夕涼みをかねて、大びらに夜あそびが許されたが、これはもう知る人も無くなった。疫病の多かった夏の祭りで、午頭天王(ギオンさん)をまつってその災からのがれようとの祭りであった。 7月 7夕 これは昔はこの地方で行われたもようがなさそうである。学校や幼稚園で行っている。星まつりであるから旧暦でないと意味をなさないが、子供たちの遊びとして笹に色紙などをつけて家庭でも飾るのをみかける。 土用うしの日 夏の土用で大暑である。土用に入った最初のうしの日で、ウナギの災難日であるが、この日ウナギを喰う風習は近年になってからのことで、この日農家では牛を川や海辺で洗ってやり、特別に御馳走(麦や味噌汁)をたべさせて、激しく使役した農繁期の労をねぎらってやった。しかし今はその牛もわが町では1頭もない。 またこの日は山村の人々もわざわざ海水につかりに来る人が多かった。(6月土用という言葉もあって、土用の行事や習俗も旧暦6月中であった)この日農家では小麦餅をついた。 中元 本来は7月15日のことでその際の贈物の意に使うので「中元御祝儀」と称して今ではこの頃の贈答品となっている。これももともと盆行事の1つで、盆セイボなどの言葉が残っている。しかし仏事の盆はこの地方では8月にするので一致しなくなった。 8月 7日盆 一般に仕事を休み、仏具を磨いたり、仏壇の掃除や墓を掃除しに行ったり、盆をむかえる用意をした。 お盆 13日から16日まで、仏教行事であるので各宗旨によって多少の相違がある。 精霊迎え 祖先の霊が家に帰ってくるとて13日夜門口で迎火とて「オガラ」(麻の皮をむいた白い木質部分)を燃した。――今はあまり見かけない。寺では盆提灯を吊す。また家により宗旨により提灯に火をともして、墓地まで迎えにいったりする。 子供達も小さい「ほほずき提灯」をもって路をあるく姿も見られた。 精霊棚 宗旨によって軒下に青竹で手頃な大きさの棚を作くり蓮の葉で屋根をふき、ナス、キウリ、イモ、そうめんなどを供える。(これは今年の盆までに死んだ人の霊を迎える―新盆にあたるという1家だけがする) 14、15日 この両日は、家長が朝昼晩と、ていねいな家は、8っ茶まで、あたかも生ける人に仕える如く、仏壇の前に座って食事を給する。もちろん精進料理である。とくに「おはぎ」「そうめん」はかかせない。この間僧侶は1軒1軒壇家を廻わって読経をする。家庭では墓参り、主家、親戚特に新盆の家へ廻礼する。 16日 朝または夕に精霊送りとて仏前に供えた品々に特別に弁当だとて小豆飯や、おはぎ、ウリ、ナスなど川へ流して送り出す。しかしこれらの行事は近年次第に簡略になりつつある。特に昔は半年勘定で、売買の銭勘定は、暮と盆とに総決算をしたので、それと盆の行事とが重なって各家庭とも大多忙であった。それだけに、それらをすますとゆったりとした気分になったものである。 盆おどり 13日から16日まで、たいてい14日からが多いが、夜になると盆おどりが始まる。町内の一寸した広場を利用したり、小学校や寺の境内で青年団などが主催して行われる。明治中期から当局の無粋な干渉で中絶したこともあったが、次第に復活し、戦後は大いに盛んになったが、昔ながらの歌や踊りがすたれて、したがって土地土地に伝った特異性が失われて、レコードやマイクで1見はなやかであるが味わいがなくなった。 湯浅や広では「ぞめき」という町内を歌い踊りながら流して行く独特な盆踊りがあったが、すっかり絶えてしまった。 藪入り 正月と同じく16日は藪入りだが、たいてい15日ごろから17日にかけて、嫁や都会に出た若者たちが実家へ帰る。 (盆行事も旧暦では7月である。この地方では8月に行われるようになっている。都会では新の7月に行い、この8月のそれを月おくれの盆といっている。) 9月 8朔 はっさく即ち8月1日のことだが、これは旧暦のことであるし、このときのことを実行するのも旧暦によるので、新でいうと9月に入るので、あえてこの項にいれた。 昔はこの日から昼休み(ひるね)をやめ、おまけに夜なべをすることに定められていた。この日を仕事の1つのきりにしたのである。餅をついて喰うのだが、あまり有難くないので(特に使用人にとっては)、8朔の苦餅(にがもち)といって苦笑したのである。農村の若者はこの日がすぎる頃から、秋祭りの笛や太鼓のけいこを始めたという。 月見 旧暦8月15日の夜であるから、年によって多少違うが9月下旬になる。萩やススキを飾り、月見だんごを作って月に供える。子供たちはこの月見だんごを長い竹竿で突いてぬすんで歩く いたずらをしたというが、所によって月見そのものもしない家もあった。 敬老の日 国民の祝日に制定、とし寄りをいたわり敬愛する日で、昔はなかった行事である。いつか敬老会という名で定着し、町が主催し婦人会が世話をして老人を楽しませる行事を行う。 秋の彼岸 春の彼岸と同じ行事をする。国民の祝日に制定されている。9月23日である。 (なおこの月の初旬ごろ、野分といって、仕事を休み、大風が吹かなかったことを感謝し、また吹かぬことを祈る予祝行事を行う地域もある。たいてい餅まきなどを氏神でする。) 10月 秋祭り この地域の祭り月であるが、広八幡神社は10月1日で郡内のトップになっている。 各学校の体育祭 運動会の名のほうが通りがよい。もちろん昔はなかったが、明治末期から大正期へかけて年中行事の1つとなった。たいてい裏祭りの休日に行われる慣例になっている。 11月 津波祭り おそらく全国で例のないものと思うが、広地区では重要な意義をもつ行事であり、明治36年12月13日当時広村の有志によって取り極められて、毎年行われてきたものである。今日では町主催で、商工会が世話をして11月3日をめどとして実施される。市場の感恩碑の前の広場で神官による海神への祈願と、耐久中学校庭の浜口梧陵銅像の前で大餅投や津波に因んだ催物など行う。 この日土堤への土持ち(今は形式的に)もする。(この事については別項「津波祭りの始まり」その他「津波」の項を参照)。 亥の子 いんのこと呼んでいる。もとは旧暦10月初の亥の日の行事であったが、今は新暦によるので11月になる。農家では餅をついて業を休み、田の神をまつる大切な日で、特に子供たちにとっては愉快な行事であったが、これは今ではすっかり絶えてしまった。(別項「民謡の部亥の子歌参照)。 報恩講 浄土真宗の宗祖親鸞上人の命日11月28日の前後に行われる真宗信徒の仏恩報謝の法会で、広の町は浄土真宗の寺院が多いので盛んであり、信徒の家でもつとめたが今はやらない。寺では法要を営む。ほんこさんと呼んだ。 12月 13日 正月始め この日、かまどやいろり自在かぎの煤はきをしたが、今は必要なくなって、これらに使った小さい「ワラぼうき」を道の辻へ捨てることも目につかない。しかしこの日山へ行って正月に燃く馬目柴刈りはまだ行っている農家はあるようである。 この月は1年の終り月で昔の名称の「しわす」という言葉も時に耳にするし、30日を「こつもごり」31日を「おおつもごり」(いづれも「つごもり」の音韻顛倒語)との言葉も耳にする、1年間の決算をし、新年を迎える用意に忙しい日々である。それで13日を正月始めという。 冬至 別にとりたてて行事はないが、この日南瓜を喰うと中風にかからぬとの俗信があり、夏穫ったのを保存しておいて喰う家もある。ユズを用いた大根ナマスやユズ湯をたてる家もある。 クリスマス キリストのことは知らなくとも、この日の行事が次第に定着してきた。クリスマスケーキが飛ぶように売れる。子供のある家庭ではクリスマスツリーの飾り付けもする。 餅つき 正月用の餅つきをするが、近頃キネの音もめったに聞けない。農家でもモチツキ機械が普及した。家はたいてい餅屋にたのむ。 正月の飾り付け 30日にする。 山祭り 旧の11月7日が本来だが、たいてい12月中になる。山で仕事する人は山神を祭り、山神の小社のあるところは餅まきもする。山の神はこの日(7日)山の木の数をかぞえるので人は山へ入らない。もちろん木は伐ってはならぬ風習もあった。 31日 大きい塩サバを焼いて食膳へのせて家内一同そろって夕飯を食う。神棚にも仏壇にも燈明が上っている。やがて除夜の鐘。 先頭に戻る 2、子どもの遊び― 子ども生活今はむかし ー 子どもの本質としてその生活の大部分は「あそび」のなかにあるといってよい。現在「子供文化の変質」ということが問題にされだしてきている。ここで昔からの子供たちのあそびをふり返ってみるのも無意味ではないと思う。新しい「子ども文化」を考えるうえにおいても。 昔から子どものあそびには、しばしばある程度の危険や、いたずらがつきまとうものであった。しかし度を越さぬかぎり、たいていは大目に見逃してくれたものだった。およそ少しぐらいの危険やいたずらの伴わない遊びなんて面白くも何ともないものである。 今も昔も子どもの心は敏感に世相の明暗に反応し、その土地環境に順応し、そのうえはてしない空想と創造心に富んでいるものである。例えば棒ぎれ1本もたせても、時にはそれが馬となり、刀や銃ともなり、空飛ぶ飛行機にもなり得るのである。 それに日常もてあそぶ玩具の類も、たいていは自然物を利用したり、また手作りの物が多かった。子どもの手におえぬものは、親や祖父母が手伝ったり作ってやったりした。それはぶかっこうな素朴なものであっても愛情がにじみ出ていて、お金で買えない何物かがあった。 子供には遊び仲間が絶対に必要であるが、子ども間には自然と序列が出来ていて、それは学校の成績などとは無関係で、ガキ大将の指揮下にいたずらもするし、時にはいぢめられもしたけれどその間に、種々の経験をし新事実を学び、魚や虫のとり方から、木登りに水泳などを習い、自転車の乗り方などもたいてい子供仲間から自得したものであった。また遊びのなかで危険防止の方法などにも協力しあったものである。 ガキ大将は順々に卒業していくので、やがて自分にも番がまわってくる。今の子どもにはこれが無くなりつつあり、たいてい遊び相手は同一年令のものに限られるようであり、危険がせまった場合など助けてくれる相手がないのではなかろうか。 夏は日焼けで真黒になり、冬は手足にあかぎれやしもやけ、それにもめげず自然を相手にたくましく育って行った。 草木花鳥虫類は、こよなき遊び相手であったし、ノラ犬などでも、遊び仲間で共同で飼ったりしたこともある。しかし一方では子供時代は、動植物に対して相当残忍なことも平気でする。カニの手足をもぎとり、トンボやセミの羽をむしったり、カエルの尻にムギワラを通して腹をふくらませたり、猫の仔をいぢめたり…これらは人間の生涯中1時は通過せねばならぬ行為であり、それをすますことによって、動物的本能を満足させ、やがてより高度な精神作用へ昇華してゆくものではなかろうか。 花をもみくちゃにし、木の枝をへし折り、幹に傷つけなどするのも、そんな時期を通過せねば、おとなになれぬほんの1と時の期間なのでやがてそれも卒業する。 頭にコブを出したり、スネをすりむいたり、蜂に追われたり、少々のケガぐらいは平気であった。だいたい昔の子供たちは、町の子も村や山家の子も、それぞれその地域のおとな達の無言のしかも暖い監視のもとに自由奔放にあそびまわることが出来た。第1教育ママなるものは居なかったし、父兄に手伝ってもらわねば出来かねる宿題なるものを出す先生も無かった。子どもたちは親の子であると同時に、その地域全体の子供として見守られていたのであった。すくなくとも社会にはそういう傾向があったのである。 町内や村の行事にも子供は1役かっていたし、子供だけの公認された行事もあった。今からみれば他愛もないまたは野蛮ともいわれそうな行為やあそびの中にも、夢を追い空想に胸ふくらませ、子どもながらに将来を期す気概ももっていたのである。 しかし一方では、子どもは遊んでばかりいたのではない。昔の子どもは家業の手伝いは義務としてもやらされた。家事や農事の手伝商家の子は使い走り、そしてたいていの家庭は子女の数も多かったので弟妹のお守りなどとそれぞれ役割りを負わされていた。 そして子供たちの遊びには、季節が重大な素因をなしていた。春夏秋冬おのおのの季節に敏感に反応して、それに適した遊びがあり、遊びの変化は季節の変化に順応していた。 現在ではしだいに自然相手のあそびは影をひそめ、子供文化も商品化され、完成された高価な玩具、工夫や創造の余地のないプラスチックモデル、マンガ本やテレビなど、これらは仲間から疎外された1人ボッチのあそびである。 近隣の子どもたちが集った遊びの主な場所であった道路は舗装されて、土とは絶縁されてしまい、今の交通道路事情は子どもの遊びを許さぬものとなってしまった。小遺銭はふんだんにくれはしても、遊び相手にはなってくれぬ父母や兄姉。すでに農山村にまでみられる「カギッ子」「テレビ子」。 急激な世相の変化でやむを得ない点があるが、今や、おとな文化の退廃が社会問題になっているおりから、この退廃に巻きこまれる子供たちの生活はこれでいいのであろうか。 ここに拾いあげてみた昔からの子どもの遊びは善良なものだけではない、感心しないものもあるし、環境の変化で今ではどうにもならぬものもある。 しかし子どもたちの末長い将来を思い、人間形成の上でゆるがせに出来ない「遊びの本能」をどのように満足させてやるべきかを考えてやりたいと思う。徒らに過去をなつかしむだけでなしに。 今の子どもの最大の不幸は真の「遊び」を知らぬことであり、それを教えてやるおとなの少いことである。そして心おきなく遊べる場が無くなっていきつつあることである。 そしておとなたちの遊ぶ場や、種類が増大し、ひいては「おとな文化」の退廃がなげかれている今日である。 以下にかかげた子供のあそびは、もちろんこれが全部であったと言うのではない。もともとあそびの方法は、その場、その時、相手の如何によって無数といってよいかも知れぬ。そして特に、その時の世相を反映したものなどは1時流行してもすぐ忘れてしまう「キワ物」的なものもあった。 それからまた、事故防止の点から刃物追放運動なるものがおこって、子供が「切れもの」をもつことが禁ぜられ、もうナイフで鉛筆を削ることも出来なくなってしまった。これは言わずと知れた刃物が悪いのではなく使用方法や、それを扱う「しつけ」がなされなかったおとなの責任ではなかったのか。これで「肥後守」と称する子供にとっては万能ともいうべき小刀1本で、種々なものを作り出した子供の創造性や巧緻性も育たなくなってしまった。 そして子供の時に出来なかった不満の代償として今のおとな達が日曜大工とか称して、金のかかる愚にもつかぬ「あそび」をしているのかも知れない。 以下順序不同であるが思いつくまま記すことにした。 巣をつくる男の子だけでやる3、4人の共同作業。広の町の子たちは、浜の堤防に植えてあったハゼの木へよぢ登り、枝と枝に縄をかけて鳥の巣のようなかっこうにして板切れやムシロを拾ってきてそれを敷いてあそんだ。 ハゼにかぶれる子も居たが、夏は涼しい浜風に吹かれながら自分達だけの巣の木をゆさぶってみたり歌をうたったりした。 そのうちにいたずらがはじまって、他の連中の巣を留守中にこわしに行って、ケンカを売ったり買ったりして騒ぐのも面白かった。そしてこの巣という呼び名になんとなく魅力があったようである。 竹馬 タケウマとよんでいる遊びには2通りある。1つは手ごろな棒切れや竹切れでそれを馬にみたてて、うちまたがり片手でムチのかわりに短い棒で、あたかも馬の尻をたたくように音をたてて棒の後方をたたきながら、かけ声をだして仲間と馳けくらべをしたり、1人でもあそべた。昔から都鄙を通じて行われた男児のあそびであった。竹馬の友の語源にもなっている。 都会では馬の顔を煉物などで作ったのを棒の先端につけて、美しくかざりたてたものも売っていたが、田舎ではワラで馬の頭を作って赤い小布などでかざったのを手製したのをあたえたりしたが、いずれも小児用であった。 今1つの竹馬は、タカアシ、ユキアシ(高足、雪足)ともいったもので、子供の身長より長いめの青竹2本で節のそろったものをえらんで、下から1節か2節目あたりを左右から木片か竹片かではさんでしっかり結びつけたもので、この上へ乗って歩く。うまく調子がとれないと歩けないので練習期間がいるが、子供たちはすぐ上手に歩けるようになれる。 上達すると片棒だけでトントンと飛び歩き一方のものを肩にかついで見せるなどの曲乗りをしたり、家ののきにまでとどくほどの高いものに乗ったりして得意がったりした。おもに冬期のあそびであり、女の子はやらなかった。 鉄砲 いずれも自製で、だいたい3種類あった。空気の圧力を利用したもので小学校では理科の教材にもした。スギ鉄砲と紙鉄砲である。 いま1つは竹の弾力を利用したもので、大豆をたまにすれば豆でっぽう、小石をたまにすれば石でっぽうとなるが、これらはあまり流行しなかった。 細い竹を使ったのがスギでっぽうであるが、細い竹管にスギの雄花の未熟のもの―――子供たちはスギの実といった――を口中にふくみ管につめこみそれを細い竹でおしこむとパチンと音をたてて飛び出す。したがって杉の雄花のつく頃にしばらく流行する季節的な玩具であり、手製であることが身上である。 これと同じ構造で太い竹管を使い、玉に紙をロ中でかんでやわらかくくだいたものを丸めて管に押しこむのが紙でっぽうで、これは音も大きくあたると痛い。もちろんこれも手製である。 今1つこれも理科教材になっている水でっぽうがある。 適宜の太さの竹の節に小穴をあけ、今1つ細い竹に布切れをまきつけて、シリンダーとピストンのようにして水を吸い上げ押すと節穴から水が飛び出す。これも自製した。 また今に流行している西部劇あそびに使う玩具の鉄砲は本物のようなこしらえで、紙火薬を使うが、子供たちにとっては魅力この上ないようだが、時には危険がともなう。 紙芝居 これは子供自身がするのではなく子供が見物人で、紙芝居屋がする子供相手の商売であった。道路の1角やちょっとした空地で毎日定った時刻になると、紙芝居屋がやって来て、カチカチと柏子木を打って附近の子どもを呼び集めてかなりの人数がそろうと駄菓子などを売りやがて芝居がはじまる。駄菓子代が見料にもなるわけである。自転車の荷物台に舞台をかたどった箱を置いて小さな幕があく。 いろいろな物語りの場面を画いた絵を、声色まじりで説明していく。昭和初期ごろから全国的に流行しだしたもので、1時は子どもたちは熱狂したものであった。1枚1枚絵を取り替えて話がクライマックスに達っすると明日のおたのしみとして、小さいため息をあとにして、紙芝居屋は次の場所へ去って行く。 内容に下劣なものもあって教師や父兄間で問題化されたこともあったが、それでも紙芝居のおっさんの来るのを小銭を握りしめてまちわびたものであった。まだテレビの無いころであった。(やがて紙芝居は学校教育や社会教育でも利用されだしたし、子供自身が共同製作などしたりするようになったが、そうなると面白くもないのになってしまった) ビー玉 (ラムネ玉)ラムネという明治末期ごろからの清涼飲料水があった。厚いガラスビンの口を留めるのに、内側から炭酸ガスの圧力でガラス玉を突き上げて口の穴をふさぐしかけに使った経1センチほどのガラス玉だが、この玉だけを子どもの玩具用として小店などで売っていた。 玉だからよく転ぶ、それを利用してころがしあったり、一定距離から当てっこしたり、いろいろのルールをきめて勝負をした。 おせ押せゴンボ 北風の寒い日など、陽だまりの塀の所などで子どもが4、5人もよると誰からともなしに、「おせおせゴンボ、出たものまま子」など唱えて両方から押し合って弱い者を外へはみ出させる、出されてもすぐ片端へ加わってまた押しかえす、これをくりかえすうちに身体が暖かくなってくる。これが10人も15人にもなるとにぎやかなさわぎになる。たまには弱い者が泣き出すこともあった。 クモのケンカ 残忍な遊びであったが、それだけに面白かった。女郎グモは黄色と黒とのだんだら模様で、明治初期の軍服のようだったので、兵隊グモとの方言名があった。垣根や植木などによく巣を張っているので、捕えてきて庭の木へでも放すとすぐ巣を作りはじめるので、放飼することが出来た。このクモを棒ぎれの先端にとまらせて相手方のクモにつきつけると闘争をはじめる。組んづほぐれつ猛烈な闘いをするのを見て楽しむ。強いクモを飼っておいて友達のとたたかわせて勝負することもあった。しかしこれは皆がするものではなく1部の子どもにかぎられていた。 カニつり これも蛙つりと同様な方法で糸のさきにつけるえさに「たくあん=方言名コンコ」の小片をつけるとよくかかった。カニの鼻さきか、居りそうな穴の口に、さしつけると近づいてきてハサミではさむ。それをつり上げるのだが、この子ども相手になるカニは「べんけいガニ」とよんだ赤い色の美しい陸のカニで、雨あがりなどよく出てくるので、ばけつをさげてつり歩いたものである。 蛙つり 田に水がはられ蛙がやかましく鳴きたてるころ、短い竿に糸をつけてさきに木の葉でも布切れでもむすびつけて、小川や田の岸で、蛙の鼻さきで動かせるとパクリと喰いついて釣りあげられる。これは蛙そのものを獲ることよりも釣り上ってくることが面白かった。 かいもり (波きり、水きり、イナとび)呼び名はいろいろあったようだが、子どもたち同志では、モラそか、ようモルか、などいった。水辺とくに海岸で、なるべくうすく平たい小石を拾って水面めがけて平行するように投げると、小石は水面を滑走したり、1、2回水をくぐったりして飛ぶ。2回3回と多くくぐりぬけさすのが上手であった。 石かくし 土塀の穴や石垣のすき間へ、手ごろな小石を定めておいて、1人がそれを隠す。みんなでその小石を見つけ出す。見付けたものは今度は隠す役をする。 「石かくし、かァなんど、ねずみの穴へ……白豆黒豆いったんやとう(また、ナッテン9ツ10とも)」などとはやしたてる。 物を隠したり、探し出したりするなかに、なにかしら秘密にしたり、それをあばいたりする快感があった。「宝さがし」などとまた違った味いがあったようである。 草や花をもてあそんで (イ)そら豆の葉やゆりの花弁をふくらます主に女の子のあそびであった。そら豆の葉やゆりの花弁の1枚を静かにもんで唇にあてるか、口中に入れて薄い表皮をふくらます。ふくらんだのを掌でたたくとポンと小さな音を出す。もちろんそら豆の葉は春であり、ゆりの花弁でするのは初夏である。 (ロ)すもうとり草 これはおよそ3種類あった。1つは路傍にはえる禾本科の草の穂を抜きこの穂の部分を結び相手方の結び目にさし入れてお互に引き合いをする、ちぎれた方がまけ。 2つはすみれの花のつけねの曲っている所へお互にひっかけ合って引く、花首のちぎれた方がまけ。 禾本科植物の穂を用いるのはたいていの場合「オヒシバ」の穂であり、方言名でスモトリ草といった。 今1つは2本くっついている松葉を利用してお互にひっかけあって引く、葉の離れた方がまけ。これとすみれは僅かな力で勝力がきまり、オヒシバの場合は相当力が入った。 (ハ)さんしちの花の風車さんしちは方言名。クチナシの花弁は少しねじれているのと、6片に分れた花弁のもとは筒状になっているのでそれをとって小枝に通し風にあてるとクルクル廻わる。 (2)ヒガン花 (彼岸花)方言名マッシャケ。(曼珠沙華)花軸を交互に折っていくとうすい皮膜で連らなってゆらゆら花がゆれ動く、これを提灯(ちようちん))にみたてる。またそれをつないで首輪にかける。 また農家の男の子たちは牛の草苅に連れだって行くとき、草籠をこの花で飾りつけ、山おこ(てんぴん棒)を通してお祭りの御輿になぞらえ、1人はさと芋の葉をちぎって面にし軸を天狗の鼻にみたて、ススキの穂を束ねてうち払いに振り立てて渡御のまねごとをした。子どもにとって草刈りはつらい仕事であったが、そのなかでこんな遊びも忘れなかった。 (ホ)牛出よ、馬出よ ウツボグサ(夏枯草)やアザミの花を手のひらで受けてたたくと花の中にひそんでいた小さい甲虫が出てくる。手のひらをはいまわる。牛出よ馬出よはその時のはやし言葉である。 またタンポポの花のあとに出来る冠毛のついたものを軸ごととって、フッと息を吹きつけるとパッと空中に飛び散るが、そのとき早く飛び出るものとおそくなるものとができる。おそければ牛であり、早ければ馬である。 これは友とかきくらべらした。 (へ)ささ舟 あせの葉(ダンチクの類)や竹の広い葉でささ舟をつくる。小川などへ流すのだが、作り方やそのときの微風のもようで速いものとおくれたり岸へ片寄ったりするものができる。女の子むきのやさしい遊びだが、男の子もした。なかにいたずら坊主が自分が負けかかると石などぶっつけて転覆させたりしてすべておじゃんにしてしまう。時には自分の流したささ舟が目のとどかぬ所まで流れ去っていくのを見送って、何がしの思いにふけったりすることもあった。 (ト)草笛、葉笛 麦苗麦の穂の出るころである。穂の中に黒穂(クロべといった)になった病穂があるとそれをぬきとり、やわらかな程をちぎって吹くとピーピーとかん高いが、どこかやさしさをふくんだ音がする。タンポポの軸も小さいが音を出せた。カラスノエンドウの若い実の中をくりぬいて吹いても鳴った。椿の熟しきらない種子の中をくりぬいて中味をほぜり出して喰べ、からを口にあてて吹いて鳴らした。 子供は音のするもの、また音を出すことがすきである。どの子もこの子もよくやった。青葉の笛。木の新芽を口中にふくむが、口唇にあてて吹くと佳い音が出て、これは歌に合わせることも出来た。しかしこれは熟練を要するし、出来る子と出来ない子があった。 (チ)桑の実とり 養蚕の盛んであった大正期には桑畑が多く晩春から初夏へかけて、桑の実が熟して黒みがかった赤紫色になる。ちょっとイチゴのような感じもする。あまりうまいものではなかったが子供たちはよくたべたものである。それにその汁で、目のまわりや、ほおにいたずら画きをした、あたかも紅をぬったようになる。 その頃麦の取り入れ時で、麦ワラで籠を作ってそれに桑の実を山盛りにした。 タコあげ 「タコ(紙蔦)」が標準語だが、この地方では「イカンダ」といった。しかし今ではタコになってしまった。 タコは竹ひごと紙とで製したもので、手製もしたが、たいていは小店で売っている金時や武者絵の描いてある奴ダコを買った。これも時代を反映して、軍人や月光仮面などもあった。 少なくなったが、今につづいている男の子のあそびである。 一般に紀州は冬期西風が強い日が多く、たこあげには絶好であった。稲刈りがすんで裏作をしない田圃でよくあげた。 糸の張り方の角度や尾にする紙の長さにかげんがあって、よくあがるたこ、すぐキリキリ舞して落ちるもの、男の子にとって終日あきない遊びであり、大空へのあこがれのようなものを感じさせるのか、ときたまおとなも仲間入りした。 こままわし 訛って「ごま」ともいった。普通小店で売っている木製の回転軸に鉄棒をさしこんだもので、紐をまきつけて振り出し紐のもどる力でまわすのだが、なれるまで練習を要し、上手になるといろいろと曲廻をして自慢した。これは女の子は絶対やらなかった。 「ドングリの実」を拾ってきて、それへ妻揚子などを芯にした「こま」は指先でひねって回わすのだが、これは女の児も家で幼児を相手によくしたものである。 ほとんど忘れてしまったものに「はちごま」というのがあった。木製で、地面で、棒のさきに紐や布切れをつけて、それを鞭のようにしてこまの側面をぶって回転さすのだが、これは丸太を適当に切って一方をけずってとがらせ、そこが心棒になる簡単なもので全部手製であったり鞭をふるって回転さす技術がむづかしかったので、小さい子どもには無理であった。 バイまわし これも男の子のあそびで、勝負を決っして、負けた方はぶん取られた。小店で売っているもので、弱い者はいつも取られて泣きべそをかいた。鋳物製の小さいもので、箱へ「ござ」を敷いて2人3人と同時に投げ入れ回わして相手を外へはぢき飛ばすのである。バイは貝で、昔は本物の巻貝であったらしい。この遊びは学校できびしく止められたので次第に影をひそめてしまった。 ケン直経5センチぐらいの円形のものと、縦8センチ横4センチほどの矩形のボール紙製のカードの2種類あったが、矩形の方が普及していたようである。これも勝負して負けたものを取ってしまう。 1枚を地面に置いて相手方は自分の1枚を勢よく地面にぶっつけるとそのあおりで、置いたものが浮きあがって裏返しにしたら勝である。地面にたたきつける毎にペタンペタンと音がするので「ペンタン」とか、裏返しにするから「カエシ」ともいった。 このカードには絵が印刷されていて、本来は武者絵であったのが、時代によって陸海軍将兵、大砲、戦車、艦など、またマンガの主人公、敗戦当時にはアメリカ軍の将兵、飛行機などと世相の1面が現われていた。 ケンは本来土製か、木製のものが昔の姿で、男山焼にも玩具用に焼いたもようである。これらはメンコと呼んだ、今もケンをメンコと呼ぶこともある。これらに材料にも、遊びの方法にも、変化があった。 バイもケンも勝負によって相手方の品をまきあげるので、熱中すると果てしがなく、子どもながら寝食を忘れるほどになり、もちろん勉強も家の手伝いもそっちのけになり小遺銭もいるし、うらんだりけんかしたり親も学校の先生も手がつけられないほど大流行することもあった。今では全面的に禁止されている。 輪まわし 桶の竹輪のはずれたものを、さきをV字形にした竹枝で突き廻しながら道路を走るのが昔の姿でいわば廃物利用の遊びであったのが、明治末から大正期へかけて太い針金のようなもので作った金輪が出はじめてこれを廻わして路面であそんだ。この輪にまた小さい金輪を2つ3つはめると回るごとにガラガラ鳴る。もちろん男の子だけがやったが、大正期で終ったようである。 竹とんぼ 長さ10センチあまり、幅2センチほどの竹片の両翼を片そぎにけずるとプロペラになる。中央に細い棒をさしこんでT字形にして、この心棒を両掌ですり廻しながら勢よく放つと空中に舞い上る。これは小学校で手工(工作)で教わりもした。竹片のけずり具合で、高く飛ぶもの、横ばいに飛ぶものなど出来て面白くあそべた。 弓 割竹に紐をつけて小弓を作り、細竹の矢をつがえて的打ちなどしたり、ススキの穂の軸を矢にして打合いなどしたが、このあそびは必ずといってよいほど叱かられた。でもたいていの男の子は1度は経験するあそびであった。 チャンバラ 映画や芝居のまねごとで、手頃な棒を2本腰にさして刀のかわりにして、斬り合いのまねをした。必ずガキ大将が居て大勢でそれにうってかかる。戦争ごっこや西部劇あそびの前身ともいえる。これは今の子供も時としてやることもあるようである。 かいぼり 子どもたちの協同作業で、浅い小川や田圃の溝を、小石や泥土をかき寄せてせきとめる。そのなかの水を板切れや両手で外へはねとばす。頭のてっぺんまで泥水にまみれて。やがて水が少くなると、フナ、ドジョウ、カニときたまには小さいウナギなどの獲物がある。これは最初から予定せず連れだって遊ぶうちフト思いついて、したがって道具なども無くしてやるのが愉快であった。 木登り とにかく子どもは高い所へ登るのが好きである。そこに木があると登りたくなるのである。木登りは骨がおれて、多少の危険もともなうので1そう面白かった。枝をゆさぶったり、高い所から人に声をかけたりしてよろこんだ。 秋になって「シイ」や「アケビ」とり、初夏では「ヤマモモ」とりなどと楽しかった。時にはおとなたちをヒヤリとさせることもあったが、子どもの身体は軽く案外すばしこいところもあって、めったに大怪我をすることもなかった。なかには女の子で、平気で高い所まで登る子もいた。 セミとり、トンポとり セミやトンボは子供たちのために生れてきたような虫で、これらを獲ることに夏の日は夢中になった。方法にはいろいろあった。 釣竿の先の部分に「とりもち」をぬりつけて、そっと近づいて羽にからませた。この「とりもち」は「もおち」と言ったが、小店でも売っていたが、手製するのもそれなりに1つの遊びになった。モチノキの皮をはいで泥水につけておいて、それを石でたたいているうちにねばりがでてくる。水であらってまたたたきつづける。これをくり返すうちに少量の「とりもち」が作れる。 とりもちは虫にからみついて、あとが面倒などで、布で小さなたもを作って、ぬきあしさしあし、幹に止っているセミに近づいてサッとふせた。 トンボとりの1つに、垣根や小枝の先端に止っているのを見つけると遠くから指を大きくまわしながら息をこらして近づいていく、だんだん近づくにつれて指のまわし方もちぢめていく、トンボの目玉もまわり出す、そこをそっとわしづかみするのだが、なかなかうまくはいかなかった。「トンボとまれ、蠅を喰わそ」 と節をつけて歌いながら近づいていった。トンボのうちのヤンマは、たえず空中を高く低く1直線に飛びまわるので、これをとらえるのに2通りがあった。1つは細い絹糸かスガ糸の4、50センチほどの両端に小さい石つぶか、空気銃の散弾を紙にくるんで結びつける。それをサッと空中にほうりあげる。ヤンマはそれを見つけると虫とまちがえてやってくると糸がからだにまきついて落ちてくるのだが、これはなかなかの妙技で小さい子には無理であった。「もおち」をつけた竹竿をふりまわしてもとった。 今1つは、ともかく捕えたヤンマ (雌でも雄でもよかった)を細糸で胴をしばって竹竿のさきにくくりつけて自由に飛べるほどにしておいてそれを大きく小さく高く低く円を画くように振りまわす「モウーモウー」と小さな声で調子をとりながら。それを見つけたヤンマは交尾にきてからみついてくるのを手早くとりおさえる。うまくいくとこの方法で何匹でもとれる。いずれにしてもなかなか根気のいることだが夏の炎天下にもあかずにやったものである。 ブーン、ブーン 竹トンボほどの竹片か、直経5、6センチほどの厚紙の円盤か、どれでも中心をはずして穴を2つあけてそれに丈夫な紐を通して輪にする。その紐の輪を両手の指にかけて大きくまわしてよりをかける。 ほどよくかかったところで左右に引きつけ、また少しゆるめる、これをくり返すと、片や円盤が回転しだす、緩急自在にあやつるとブーンブーンと音をたてる。その音が微妙であった。 ひいらいた、しぼんだ 主として女の児のあそびで、大勢で手をつなぎ輪になる、中心に向って歩ゆむと輪がちぢまる。これくり返し大きな輪になったりちぢめたりする。 「開いた、ひいらいた、れんげの花がひいらいた。開いたと思ったら、ちょいとまたすぼんだ。すうぼんだすぼんだ、何の花がすうぼんだ、れんげの花がすぼんだ、すうぼんだと思ったらまたちょいと開いた。と大声で歌いながらこの動作をくりかえす。 なおできるだけ輪をちぢめるため、つないだ両手を上へあげてからだを寄せ合う。歌声がにぎやかであった。 ジか、モか 小銭を垂直に立てて指先でひねって回輪させる。まわっているところを片手でサッと伏せて、相手に鍋の裏表をあてさせる、ジは表、モは裏のこと、かけにもつかった。 雨か、日和か 子供のお天気占いである。あそび終って帰える途中、1人が「あした雨かひよりか」と言いながら、はいている下駄やぞうりの片方を前方へ高くけり上げる。落ちて表が出たら日和で裏むけば雨だ。1人がやり出すと他の者もめいめい履物をけり上げる。 コオモリ来い 夏の夕暮になると、古い家々の屋根裏にひそんでいたコオモリが群り飛んで小虫を喰うために飛びまわる。 子供たちは「コオモリ来い、ぞうりやら!」「ぞうりいらにゃきゃ、はだしで来い!」とはやしたてて、時々ぞうりを高くほおり上げると不幸な1、2匹が草履に当って落ちてくることがあるが、飛びかうコオモリにはやしたてるのが面白かった。今ではこの小動物も町なかでは居なくなってしまった。夏のひぐれから暗くなるまでのほんの1とときの光景であった。 尻まくりこれはあそびの範囲をこえたいたずらの部類だが、昔は和服だったので、だれかが思いつきに相手の後にまわってさっと着物のすそをまくりあげる。「天神さんの背で、おいどまくりはやった」とはやしながら油断している相手の裾を手あたり次第にまくる。わあわあキヤァキャァとにぎやかだが、女の子など泣きだすと興ざめしてしぜん止んでしまうが、油断もスキもない一時のあそびであった。 かくれんぼ、おにごっこ 2人以上あればいつどこでもやれる。方法は略すが、色々な種類があって、時には大集団に分れて行動が相当な範囲に及ぶこともあった。この遊びは男女児年齢の差も意に介することなくあそべた。おにごっこはこの地方では「おにごと」という。 ずいぶん昔からのあそびであろうが、今の子供もやっている。これらのあそびを始めるとき、1人が中心になって「かくれんぼ(または、おにごと)するものこの指にたかれ!」とよばわって片手の人さし指を高くあげると皆んなが寄ってきてその子の指にふれる。ここでなにがしかの人数があつまり、オニを決めてはじめることもした。 かげふみ 月明の夜か、街燈の下で、2、3人寄れば、お互に逃げまわりつつ相手の陰を追って踏みあいをする。偶然に起るあそびである。学校の運動場などで太陽の下でもやることもまれではあったが行われた。 中の中の坊坊さん 女の児のあそびである。10名ばかり手をつないで円陣をつくり、オニになった子が円の中央にかがみこみ両手で目をおおってうつむく。そのまわりを円陣でめぐりながらうたう「中の中のぼんぼんさん、なぜに脊が低い、親の日にとと(魚)喰て(または、えび喰て)それで背が低い。立って見よ、坐って見よ、うしろの正面誰ァれ」と皆がかがみこむ。 中央に居た子は自分の後の子の声をたよりに名を言いあてる。いいあてられたものは中央の子と交替する。あてられなかったらまた同じことをくり返す。 すべすべ 土手や堤、山の傾斜地などを利用してのあそびで、葉付きの木の枝を尻にあてがってすべりおりる。もちろん「すべり台」などなかったときのことである。冬枯れた草の上など気もちよくすべれたし、山の傾斜地などは豪快な気分になれたものであった。 シャボン玉 石鹸水をつくりムギワラの管で吹いたのだが、なかなかうまく液がつくれなかった。いろいろ工夫して、マッヤニを入れたり、センダンの実の皮を混ぜたりして子供ながら工夫した。大きくふくれて高く飛んで流れていくのをよろこんだ。小店で製品を売ってもいたがたいていは自分で作ることがたのしかった。 ままごと ありっだけのおもちゃの道具を出して、炊事、洗濯、子守、食事などの日常母姉のしている家事のまねごとであるが、今のように万事道具をととのえてではなく、ありあわせのものを利用し、草や花やみかんの皮などで御馳走のまねをしてけっこう楽しかった。そして幼い弟妹の守りにもなった。 羽子つき 羽子板で羽子をつく、昔のバドミントンであるが、主に町家の女の子の正月の遊びであった。この遊びは豪華な羽子板などでするものではなく板にちょっと彩色などした簡単なもので羽子になるムクロジュの実が手に入れば自製もした。たまには男の子も仲間入りした。「ひとめ、ふため、みやこし、よめご、ななやのやくし、9ツ10」などはやし言葉もいろいろあった。 ほおずき 子供たちの「なぞなぞ遊びで」「畑の中で酒のんで、かやつって寝ている坊さんだぞれ」の草ホオズキの赤く熟した実をたんねんにやわらかくもんで、針でなかの種や肉をほぜり出して、口中に入れてうまく鳴らすのが昔からのものであったが、これは作業がむつかしいし鳴る音もあまりよくなかった。 丈夫でよく鳴ったのは「海ホオヅキ」といって海の巻貝の類の卵膜を利用したもの。海中の小石や流木などに産みつけられたものが波で海岸に打ち上げられたり、網にかかってきたものが小店で売られていた。女の子の独専物だがあまり小さい子には鳴らせなかった、ゴムで作ったものが売られたこともあった。いずれにしても今の女の子には忘れられてしまった。 せっせっせ 女の子が向い合って両手の掌で相手の掌をつき合すのだが、交互に、早く遅く、強く弱く、合の手に拍手を入れたり、ときには両手を開いて相手に空をつかせたり、簡単なようでうまく合わすのがむづかしかった。 家庭では小児が坐れるようになると、母や姉が相手になってこれをして遊んでやった。これには必ず歌がはいる。歌のともわぬ「せっせっせ」は無い。 「せっせっせ、夏も近づく八十八夜野にも山にも青葉がしげる……」とか「青葉しげれる桜井の里のわたりの夕まぐれ……」とかと明治大正期の小学唱歌が多かったが、これにはもっと古い歌があった筈と思われる。 お手玉 女の子の遊びで男の子は絶対にしなかった。お手玉は標準語で、この地方では「おさだ」「ななこ」ともいった。 色とりどりの小布片で4、5センチほどの四角の袋をつくり、中にアズキを入れるのが本格だが、ダイズや小石を入れる。普通5個か7個つくる。その中で1個を色の違った布で作ってこれを「おさだ」という。子供たちはなまって「おさら」といった。 文句があってそれに合せて、うちの1つを高く放り上げてそれが落ちてこぬ間に残りの袋を或は散らし或は集めつつ手早く落ちてくる袋を受けとめる。また空中に交互に放り上げたり遊ぶ方法はいく通りもあった。 歌やはやし言葉の文句は時代によって色々あったもようで、昔からあった遊びのようである。 「お1つ、お2つ落しておさら……」とか「イチレツランパン破裂して日露戦争あやにしき」(または、あいにくに)など、歌いながら早春の縁側や日だまりで和服おさげ髪の少女が2、3人でよくやっていた。 女の児が針のもち始めに縫うのが、たいていこの「おさら」で、母にないしょで布をおかまいなしに切ってよく叱られもした。今でもこぎれいな箱入りで既製品が売られているようだが、もうこの遊びもすたってしまうようである。 花いちもんめ これは女の子が相当数なければ面白くないので町家に多かった。となり近所の女の子がみんな集まって2組に分れ、手をつないで相当な距離をおいて向い合う。 両方から相手方に向って、誰々ちゃん欲しいと指名する、指名された子は列から1歩前進してジャンケンをして負けたら相手側に連れさられる。また指名された子の側の者から相手側へ「家へかえったら何喰わす」と問いかける、相手側が「小豆飯にタイよ」と答える、こちらは「それやカンの毒よ」とやりかえす。こんなことのくり返しで相手側から自分側へ子を取るあそびだが女の子のことで色とりどりの3尺おびの結びめからたれさがる端がひらめいて花やかであった。 石けり ときには男の子もしたが、たいてい女の子に多かった遊びで、道路や農家のにわさきでけし炭かロウセキで、なれれば棒切れなどで地面に円か4角をいくつか連続して画く。一定距離から1番近い区画へ、平な小石を投げ入れる。そして片足あげて即ちケンケン足でその石を次の区画へけり込んでいく。区ぎりの線へ石がかかったり、けりぞこねたりしたら負けで次の者が代ってやる。 やはり方法にはルールがあって、面白くあそべ、円を画くとき無心に身体を中心にして思いきってくるりと画く線はうつくしく美事であった。 なわとび 学校の体育にあるなわとびのことではなく、ここでいうのは走り高飛びのようなものである。バーの代りに2人で縄を引っぱって、それを順次に高く上げていって、順々に飛びこえていくのである。足が細にかかったり飛べなかったりすると細もちと交替する。またこれには走ってきて飛び越えるのと、立ったままで片足を上げて越えるのとがあった。女の子などでなわ飛びに勝つ子はハッサイ(おてんば)などとひやかされた。 今1つはやはり2人で想を持ちそれをゆるめて左右に振る、それを順次にその場で飛び上って足にかからぬよう身体ごと上下にピョンピョンと飛びあげる。大波、小波、1つ、2つ……と数える。足にひっかけたら縄持ちと交替する。 おはじき これもずいぶん昔から行われた室内遊戯で、ときたま男の子が仲間入りすることもある。およそ型のそろった小石、小貝(巻貝)、大豆やそらまめなどを、ばらりと小範囲にまき散らす、接近している2個間を小指で石にさわらぬように仮線を引くまねをして1つを他方にはじく、うまくあたればその1つを取る、とった数で勝負をきめる。 だんだんとられていって、数が少くなると距離がひらいてくるから当りにくくなる。これもガラス製で花型や丸型のものが売られるようになった。しかしやはり、豆を煎ってもらったり、美しい小石をあつめてするのが面白かった。これと同じことを男の子たちは、将棋盤の上でコマをまきちらしてすることもあった。 あやとり 糸とりといった。細紐や毛糸などを輪に結んだものを両手の指の間にかけ渡して、何かの形に見立てる。平行にならべたら水、または川、それを相手の子が指の間にとり入れて受け取り、その時の指のもって行きようで変った形の線が出来る。 舟になったり、つづみ型になったり、はしごのようになったりする。 決った手のもって行き方があって、順をまちがえると糸がもつれてしまう。たいへん巧緻を要するしぐさである。これは主に女の子のあそびである。 手まり まりつきのことであるが、そのまりは昔は綿などを芯にして糸でまわりをかがり、更に種々の色糸を使って表面に美しく巧みな幾何的な模様を出したものを母や祖母に作ってもらって、女の子にとっては宝物であった。 これはまずお坐敷用のもので、明治中期からはゴムマリになった。今の軟式テニスボールのように、つけばよくはずむので、あかずにこれをついてあそんだ。やはり歌がついていて、手まり歌なるものがあった。 つき方にもそれぞれの工夫もあって種類も多様であった。これも男の子は全然関与しなかった。男の子はもっぱら投げ合いにあった。(今のキャッチボール) あねさま人形 女の子の室内遊びで、人形はもとは紙で作ったものが多かった。母や祖母に作ってもらったが、少し大きくなると自分で作った。綿を丸めたものに紙をきせて頭にし、しわ寄せた紙で髪型をつくり、着物や帯は色紙や布切れで作った。つくりの簡単なものほど空想を託する余地が多いもので、嫁さん、娘さん、子供などと菓子箱などの中に寝かせて小さい布団をかけたり、着物を着せかえたり、お嫁入りのまねごとをさせたりしてあそんだ。もともと「あねさま」とは若いお嫁さんのことであった。女の子の理想の姿である。 都会では本物そっくりの髪や紅白粉をつけた首だけの人形を売っていて、それに自分の好みの着物をきせて遊ぶのもあった。人形の種類はすこぶる多くその歴史も古いが、前記の素朴な手製のものがやはり1番なつかしいものであった。 子とろ、子取ろう これは広い場所が必要であり、人数も多い方が面白かったが、時たまに思い出したようにする遊びで学校の運動場などでよくした。 身体の大きなものが親になりその子の後に順々に帯をつかんで1本の線のようになる。オニがその列の最後の子をつかまえようとする。親が両手をひろげて左右に逃げまわりじゃまをしてオニを後に行かせぬようにする。親が円の中心になり、あとにつづく者が半経のようになるので、後に行くほど運動量が多くなり、列が長くなると最後の子は振りまわされてはねとばされたりする。男の子も女の子もした。にぎやかな遊びであったが多少の危険もあった。 タンテイごっこ ドロボウごっこというぶっそうな名もあった。タンテイは探偵のことである。1人が(たいていガキ大将)悪者になって逃げまわる。多勢がそれを追い廻わす。悪者は巧にかくれたりあらわれたり、なかなか手に負えない。最後に寄ってたかって捕えるのだが、このあそびは悪者やドロボウがめっぽう強く、探偵どもの弱い所に変な面白さがあった。 戦争ごっこ 明治大正昭和の初期と日本の初等教育にも軍国主義調があったので男の子たちに戦争ごっこが流行した。しかし1番さかんであったのは日清、日露の戦争の影響で、明治から大正へかけてであったろう。まず演習のまねごとであったわけであるが、小店には大将から2等兵までの肩章のおもちゃが売られていて、それを肩につけて棒切れやおもちゃの銃をもって両軍にわかれて走りまわったものである。 首切り 男の子のあそびで、相手の首に手をふれた者が勝である。追ったり逃げたり、大汗をかいたものである。主に両軍にわかれるか、大勢で入りまじるかしてやった。切られた者から順次戦列をはなれて最後に残ったもの同志の1騎打ちとなる。昔の小学校運動会でやった紅白の運動帽子の取りと同一趣向のものであった。大正初期学校の休み時間に1時盛んで熱中した。 大阪見たか、京見たか からうす遊びともいったようである。2人が背中合せになり両手で相手のかいなをしっかりと取り、片方が腰をまげてうつむくようにすると反対側の者の足が宙に浮いて顔が空をむくようになる。それを交互にくりかえす。女の子にするこが多かった。力がくじけて2人ともころげることもあった。大阪見たか京見たかと口ずさんでやった。 先頭に戻る 3、講現在では殆んど行われなくなってしまったが、民俗資料として重要なものに「講」がある。 この講には、大別して信仰的な立場から組織されていたものと経済的な立場から組織されていたものと2とおりのものがあった。そのうち、信仰を同じくする者達で組織されていた講には、神道的な色彩の濃いものと、仏教的な色彩の濃いものとの別があった。また、経済上の立場から組織されていた講、わかりやすくいえば頼母子講にも、講員互助的なものと救済的なものの別があった。 そして、このまえおきで書き加えておかなければならないのは、各種講は上記の如く志を同じくする信仰集団または経済集団というだけでなく、1つの地縁集団として、過去の村落生活上における意義が大きかった。各種の講―具体的には後述―は、大体1村落、すなわち現在の大字単位が立て前であった。だから、講仲間(講員)は村落共同体意識が強かった。 それでは、当広川地方において、いったいどのような講があり、どのような活動をしてきたのか簡単に述べてみよう。以下挙げるような講は、たいてい現在の各大字毎にあり、多少地域性もあって1様ではないが、共通点が多いので、村落別に挙げることを省略すると共に、内容についても1々の説明は省きたい。 信仰集団としての講 伊勢講、大峰講(山上講)、金毘羅講、秋葉講、妙見講、恵比須講、庚申講、観音講、念仏講、大師講 (高野講)、稲荷講、報恩講、彼岸講、社日講、日待講、13夜講 右に列挙した以外にまだあったかも知れないが、いま捕捉し得なくなっている。下津木岩渕観音寺の近世末期の碑に見える茶講は、信仰的なそれか、はたまた趣味的なそれか、判然としないものがある。 右に挙げた各種の講のうちで、最も広く行われていたのは、伊勢講、庚申講、観音講、大峰講で、念仏講、大師講なども割合どこの村落でも行われていた模様である。高野山信仰(大師講) でなく、聖徳太子信仰の太子講もあったであろうが、大師講と混同して不明となっている。 右の講のうちでも、伊勢講は最有力で、たいてい講仲間で財産を持っていた。それを「伊勢講田」と呼ばれる、その収益で毎年の行事が行われた。特に田とは限らず、畑や山の場合もあった。なお、講仲間で財産を保有していたのは、ひとり伊勢講のみに限らなかった。他の講にもその例があったという。 講には、それぞれ行事があった。年に何回か講員が集ってそれぞれの信仰、祭祀の行事が行われるが、その場所は講員の家のまわり持ちが多かった。そして、つつがなく信仰的行事が終ると、かねて用意しておいた酒肴で親睦の宴が開かれる。だが、たいていは簡単な手料理であった。これが、昔は農村の重要なリクレーションの1つでもあったのである。 前記した如く、伊勢講などは田地を所有していたからここからあがる小作米で結構賄いができた。なお、その残りの分は、毎年順番に講員伊勢参拝の旅費に充当するのを普通とした。大師講は順番に高野山詣をするという工合であった。だが、どの講も財産を所有していたという訳でなく、その賄費は講員の持寄りか、講員の少い場合は、その時の当番が受持つかであった。 講は講員の家をまわり持で行われる場合が多かったが、特定の家とか、在所の寺とかで行われる場合もあった。 彼岸講などの場合は、地縁集団というより、寺院単位で檀家相集い行われるのが普通となり、最早や民俗資料の域から脱している。 寺院で行われた講に百万遍念仏講があった。昭和20年の敗戦頃まで続いて来た例として、池ノ上法専寺と津木の広源寺の檀家中心の百万遍念仏講を挙げておこう。その念仏講で用いられた大珠数が過去を物語る如く同寺に伝わっている。 以上極めて簡単であり、個々の説明を省略したので具体性に欠けるところ多かったが、信仰集団としての講も、次第に敬虔な信仰的集りから、1種の素朴なリクレーション的集りに変化しつつ、その殆んどは近代に至って廃止されてしまった。 経済的集団としての講 一般に頼母子講といったが、無尽講と呼んだものもあった。この頼母子講には、講員互助的な金融組織と互助的な物品購入組織の2種以外に、講親救済のための組織もあった。 互助的金融組織としての頼母子講は、一定の掛金を持ち寄り、それを購員が入札して借りる。互助的な物品購入組織の頼母子講には、その購入の物品によって傘頼母子・蒲団頼母子・畳頼母子・牛頼母子その他購入目的の物品名称を冠して呼ばれていた。これも一定の掛金を持ち寄りその資金で目的の物品を講員が順次購入してゆくという方法であった。 頼母子講には困窮者救済を目的として組織されたものがあった。これにも大体2とおりがあった模様で、救済を必要とする者を講親とし、講員各自が出し合った米または麦を、講親に寄附し、講親は毎回酒食を提供して講員に感謝の意を表するというもの。もう1つは、講員各自が出し合った最初の分を講親に全部寄附し、第2回目からは、他の人にも分ち与えるというものもあったという。 とにかく、信仰集団的な講、または経済互助集団としての講にしても、その起源は中世鎌倉時代にあったというが、近代すっかり廃れ、講を中心とした地縁的共同体意識や、互助的意識が薄れ、特に金融などは銀行、信用組合、産業組合(現農業協同組合) などの発展普及によって頼母子講の存在が重要でなくなった。また各講の有していた他の1面、すなわち娯楽性も、やがて他の娯楽が普及するに従って、それに取って替えられた。講は最早過去のものであり、過去の民俗資料の1つである。 先頭に戻る 4、方言の部有田のことば(主として方言) ―広川町を中心としてー もとより言葉は生きものであり、現代、他地方との交流もはげしく、学校教育や、テレビラジオの影響、生活様式の変化などで、昔からのその土地での言葉は、つぎつぎに失われていく。 方言はなつかしいものであり、その土地に住む人々の心情がうかがわれるものである。有田の言葉――広川町のことば、それも方言全部をとり上げる余裕はないので、思いつくままといっては語弊があるが、そのうちなるべく特殊性のあるもの、今は忘れるかまたは忘れ去られようとしているものを選んだつもりである。 エ 語尾につけて意をそえる いたんエ=行ったのです。 いこかエ=行きましよう。 待たアエ=まちなさい。 しなアエ=しなさい。 え読まん、え書かん=読め、書けぬ。 カイ さうカイ=そうですか。 カイヨ あろカイヨ=あるだろうよ。 カイシ さうカイシ=そうですか。 ガイ うつくしかろガイ=どうだ、美しかろう。 ガイシ あろうガイシ=有るじゃないか。 カエ そうかエ=そうですか。 ガエ いたろガエ=居ったろが。 カテ そんなこと言ったカテあかん=……たとてだめ。 カレ するカレ、知るカレ=……ものか、かい。 カン そうカン=そうですか。 クサル 罵倒する語「遊びクサル」 クソ まねクソ、けたいクソ悪い、げんクソわるい=語意を強める。 シ そうかいシ=そうですか。 シャレ 行かっシャレ=お行きなさいよ。さっシャレしなさいよ。 ショ したんやいショ=したんですよ。 ジョ そうジョ=そうです。 セ あそばんセ=遊びなさい。 セヨ あそばんセヨ=遊びなさいよ。 ソ 行けソ、やれソー=行きなさい。しなさい。 デ するデ、有るデ=しますよ。有りますよ。 ト(トー) 有るトー=有るそうです。 居てト=居りました。 居てトー=居りなさい(他からの命令をつたえる場合)。 あっトー=有りました。 トイ ト工 トウー 上記3語いずれも「…そうです」の意。居るそうですを、居るトイ、居るト工、居るトウと用いる。 トカ せんトカーしないでおきます。 トクヨ せんトカヨ=右の意を強めてー トケ せんトケ=しないでおけ。 トケヨ せんトケヨ=右の意を強めてー トコ いかんトコー行かないでおこう。 ナ あのナー=あのネ。 すんナー=するな。 行かナ=行かないよ。 さうやナ=そうですネ。 ナヨ すんナョ、行かナヨー強める語。 ナア あのナア、そうやナアーあのネ、そうだネ。 ノ あのノー=あのネ ノエ あのノエ=あのネ ノウ あのノウ=あのネ ノシ ノシラ、あのノシ、あのノシラ=あのネ。 そうかノシ=そうですか。 ハン 中村ハン=中村さん ヘナ せえへナ=しない ヘナヨ せえへナヨ=しないよ。 ヘン 出来ヘン=ヘンヨ=出来ないよ。 ヤア これしてヤア=これしてくださいよ。 ヤイ 呼びかけの語、ヤイどうな=君どうですか。 ヤイシヨ さうヤイシヨ=そうですよ。 ヤシテ さうヤシテ=そうです。 ヤシテノ さうヤシテノ=さうじゃありませんか。またヤシテの意を強めて。 ヤナ 出来ヤナ=出来ない。 ヤナヨ 右の意を強めて。 ヤヒテ ヤシテと同じ。 ヤロ そうヤロ=さうでしょう。 ヤロガ そうヤロガ=さうでしょうが。 ヤロヨ ヤロの意を強めて。 ヤン 出来ヤン=出来ない。 ヤンヨ 右の意を強めて。 ヨ そうヨ=さうです。 ヨシ 右と同意。行きヨシとなれば行きなさいとなる。 ラ、ライ ライヨ ラエ、ラヨ、行くの語尾へつけると、行コラ、行コライ、行コララ工、行こラヨとなってどれも行きましょうの意。 ワ、ワヨ、あったワ(ヨ)=ありました。 ワイ、ワヨ、行くワイ(ヨ)=行きますよ、 ン、ンヨ、もうせン(ヨ)=もうしない。 音の転訛するもの オ→ゴ ハナゴにはなお(鼻緒) オーホ ホシイ=惜しい サ→タ フタグ=ふさぐ サ→ハ ハナコハン=花子さん シ→ヒ ヒタ=下、舌 ス→フ フテル=すてる ソーホ ホゥヤ=そうや ナ→マ マメクジ=なめくじ バーワ ツワ=つば(唾) ホ→ヨ シヨ=塩 マーバ アバエル=甘える マ→ワ マルワゲ=まるまげ(丸髷) ム→ヌ アオヌク=あおむく(仰向く) ム→ブ サブイ=寒い モ→ボ ヒボ=ひも(紐) ヨ→オ オコス=よこす(寄越す) リーシ ヤッパシ=やっぱり レ→エ アエ=あれ レ→ケ ヤブケタ=やぶれた ワ→ヤ ビヤ=びわ(枇杷、琵琶) 行訛りするもの イ→工 エエ=イエ(家) ウーイ イオ=ウオ(魚) ウ→オ オサギ=うさぎ 工→ヤ カヤス=返す キーケ デケル=出来る ク→コ ビコビコスル=びくびくする グ→ゴ テノゴイ=てぬぐい コ→カ ヒヤカイ=ひやこい サ→ソ ハソム=はさむ シ→セ アセ=あし(葦) ニ→ヌ シヌクイ=しにくい ヌ→ノ タノキ=たぬき ビ→ブ アブセル=あびせる(浴) フ→ヘ ヘチ=ふち(縁) フ→ホ ホトコロ=ふところ べ→ビ ビンギ=べんぎ ミ→メ メメズ=みみず モ→マ マット=もっと モ→ム ヨムギ=よもぎ ラ→レ バレン=ばらん(葉蘭) リ→ラ ビックラ=びっくり リ→レ クレゴト=くりごと リ→ル スルビ=すりび(マッチ)する ロ→ラ ヒラウ=ひろう(ふ) レ→イ ソイ=それ(行段加) 最初にオをつけ下を省くもの オベン=べんとう オハサ=はさみ オマン=まんじゅう 最後に撥音をそえる カシン=菓子 間に撥音をいれる カンゴ=籠 テンマリ=手まり トンビ=とび 間に促音をいれる アッポ=あほう アリガット=有難う オッサエル=押える ゴットニ=毎に 種々の音が加わるもの オヤコイ=親子 オモタイ=重い カザ=香(か) ケヤス=消す セワシナイ=忙しい タイセツナイ=大切な 形容詞の最初の短母音を長母音にする アアオイ=青い タアカイ=高い 形容詞に促音を入れる アッカイ=赤い 1音節の語の短母音を長母音にのばす イイ=胃 カア=蚊 キイ=木 タアノナア=田の菜 音を省略する カン ジ=かんじん サンベ=3遍 ダイコ=だいこん ガッコ=学校 サト=砂糖 センセ=先生 ダイドコ=台所 言葉を簡単にする イ夕=いただかせて下さい。 クダ=下さい、なまってクラとも。 ヨウオコシ=よくお越しになりました。 音の脱落 アコナル(赤うなる) オジサン(おぢいさん) カツブシ(かつお節) キリス(きりぎりす) コロギ(こおろぎ) トイ(遠い) ナン(ならん) 約韻 シヘ=セ オセテ(教えて) テイル=テル ユウテル(言っている) 〃 トル ユウトル(右同) テヤ=タ オセタル(教えてやる) デイ=ド ヨンドル(呼んでいる) テオ=チ ユウチョクレ(言っておくれ) 〃 ト ユウトクレ(右同) デヤ=ジャ ヨンヂャル(読んでやる) ネバ=ナ ヨマナアカン(読まねば駄目だ) 〃 ニヤ ヨマニアカン(右同) レバ=リヤ クリヤヨシ(来ればよい) 清音の濁音に転ずるもの ガニ=かに ゴマ=こま ゴリル=こりる 音の転換 カダラ=からだ スモゴリ=すごもり ツモゴリ=つごもり トナダ=とだな 揆音に転ずるもの ウ→ン ユンベ(ゆうべ、昨夜) オ→ン トンガラシ(とおがらし) ナ→ン ナガタン(ながたな) ノ→ン キモン(きもの) ル→ン クンナ(来るな) 直音の拗音に転ずるもの ア→シャ シャルク(歩く) サ→シャ シャカン(左官) シ→シュ シュム(しむ) ゾ→ジョ ジョウリ(草履) 拗音の直音に転ずるもの ジュ→ジ ジバン(襦袢) 音便 イ音便 アイタ=明日=飽きた ムイタ=蒸した ウ音便 コウタ=買った 揆音便 インダ=往んだ=帰った 捉音便 トッタ=取った 接頭語 アタ→アタキタナイ=汚い オ→オアラ=あります カイ→カイダルイ=だるい クソ→クソオモタイ=重い コ→コリコナ人=器用な人 ジジ→ジジムサイ=汚い シチ(ヒチ)→シチクドイ=くどい ド→ドアタマ→ドタマ=頭 ヘ→ヘシボル=しなむ ヘシ→ヘシオル=折る 接尾語 コ→ハンコ=印 ソ→イトソ=糸 タ→アゴッタ=顎 チ→アポッチ=阿呆 チョ→カブッチョ=株 チン→デボチン=腫物 ド→シンド=芯 ポ→カラッポ=空 ボシ→ヤンチャボシ=やんちゃ子 サ→誰々サ=太郎さん サエ→誰々の意、またサと同意。 ヤル→行為の語尾……している。 「行きヤル、来ヤル、もどりヤル、お粥喰いヤル、すゝリヤル」のざれ言葉がある。 先頭に戻る 主な方言語についてさきにも述べたとおり、方言全部を集録したものではなく、広川町を中心として、有田の言葉、やがて県下へと及んでいく性質のものも数多いが、そのうちわが郷土のものを主とした。しかし紙数の関係もあって、動植物の方言名は惜しかったが、ほとんど入れられていない。幼児語も同様である。 アの部 アイガワリヒガワリ=いれかわりたちかえり。「そうアイガワリヒガワリに来られたらカナわんナ。 アイコ=ヒキヒキにすること(相殺すること) アイサナイ=愛想がない。 アイサニ=ときどき、たまには、「あいつ、アイサニしか来んナ。 アオツ=風をたてて物をうごかす。 「そうアオツなヨ」また人をおだてあげる意で「今日はあいつにアオタレてヨ。」 アオノケ=のけざま。 「縁側でアオノケになって寝てラ。 アガ=私、我。 「アがんよ(私のものです)。アガラ1緒に行コラヨ。 アガデニ=自分で、1人でに。 「この熟柿アガデニ落ちてきたんヨ。 アカン=駄目、用にたたぬ。 「そんなこと今更言うてもアカンデ。 アタン=仕返し。 「猫をいぢめるとアタンされるゼ」 アッタラモン=惜しいこと。 「ここまで出来たのに、アカンことしてアッタラモンやナ。 アトニカラ=前々から。 「アトニカラそない思てたんや。 アバスク=間があく、緊張しない。 「あいつ仕事にアバスクのでアカン。 アマチコイ=糖分の甘さを強調した語、子供はアンマイという。またアマチロコイの語もある。 アマッテカエル=十分すぎる。 「それぐらいやつたらアマッテカエラ。」 アモカモチカ=さしたる区別のないこと。 「どっちもどっち、アモカモチカや。」 アヤチ=あやめ、ようす 「こう暗くてはアヤチがつかん」 アラタカナ=神仏の霊験あること。 「まあ詣ってみな、アラタカやでー。」 アラシコ=重労働、荒仕事。 「あのとしで、あんなアラシコして……」 アリシコ=ありたけ 「身代アリシコ使うてしもた。」 アリャコラ=あべこべ 「そんなアリャコラなことすんなヨ。 アンジョ=よいぐあに 「あとアンジョかたづけとけヨ。 アンノジョウラク=安の定、思った通り 「アンノジョウラクあかなんだ。」 イの部 イオン=硫黄「マッチすったらイオン臭い」 イカ=イカンダとも、凧上げ遊びのタコのこと イカイコト=たくさん 「まあまあイカイコトでー」 イカゲ=いい加減、上等でないもの 「イカゲにしとかんか」「イカゲなもんや」 イカレル=やられる、してやられる、叱られるなど。「親父にイカレタ」「あいつにイカレどうしゃ。 イキナリ=やりっぱなし「あいつイキナリなやつや」 イキノセニ=たてつづけに「来るなりイキノセニ3杯のんだ」 イキル=きおいたつことと暑さにのぼせあがる意。「あいつイキッている。「1杯飲んでイキッテきた。 イサイコサイナシニ=否応なしに イサイナ=愛想のよい、如才のない。 「あのおばさんイサイな人や」。 イタクラ=雀のことだが山地で用いらる。 イッキニ=ひと思いに「そんなことイッキニやってしもた。 イッコモ=全く、少しも。「そんなことイッコモ知るかよ。」 イッテキニ=ひと思いに …イデカ=何々せずにおくものか。「せイデカ、言わイデカ。など用う。」 イトコニ=仏事の際の献立。大根、人参、里芋、さつま芋、なす、ささげ、油あげなどを入れて煮こんだもの。 イヌ=帰る イニガケ=帰りがけ、イニシナとも。 イネ=寝すがた「この子イネ悪いので風邪引くでー。」 イバル=しないまがる。「荷が重おてオコがイバル。」 イラウ=相手を馬鹿にする。「あのガキ(あいつ)にイラワれた。」 イレオカイ=米からでなく飯で粥にしたもの。 イン=そうだ。インイン=そうそう。 ウの部 ウカメル=すましている、見てみぬ振りをする、ウカベルとも。「えらいウカメてるなア」 ウク=むくむ「病気でからだがウイている」 ウズク=たまらなくなる、身心ともに用いる、 「行きとてウズイてる。」「傷がウズク。」 ウザウザ=ウダウダとも、冗談に、ふまじめに、わけのわからぬ言いぐさ「ウザウザ言うな」「ようまあウダウダと」 ウセル=来るの卑語「ようウセたナ。「ウセよれ!」 ウソ=今は混同しているが、男は目下の者に「ウソつくな!」といい、女は目上の者にウソユウと用いたのとウソダマスの3つが用いられた。また人をだますことをダマクラカスという。 ウタトイ=うるさい、面倒な、ウタテイとも。 「えーい、ウタトイやつやな早う歩け」 「そうウタトイこと言うな」 ウチワ=足を内側に向けて歩くこと、和服の女の歩き方。反対に外側に向けるとソトワに歩くとなる。洋装の女はこれ。男はもちろんソトワ歩きである。 ウツカツ=大同小異のこと「2人の腕はウツカツや」 ウトイ=愚かなこと「ウトイやっちゃ、しっかりせえ」 ウネ=山の峰、山の峰の道、オネに同じ。ほかに畑のウネ、波のウネにも用いる。また口の中でものをもぐもぐさせることをオネクルというが、以上いずれもウネウネの擬態語からでた兄弟語だという。 ウマアウ=意気投合すること。「2人はよくウマアウので……」 ウマス=動かさずそっとしておく、時をおく。「飯炊いてよくウマす」「しばらくウマしておけよ」 ウラ=おら、私の卑語。「ウラエ(家)の前で、ウラウラ言うな、ウラエのオカン(母親)にウラおこられる。 なる地口があった。 ウラハラ=表裏の違うこと、反対 「あいつ、口と腹とはウラハラや。」 ウンキ=暖気「このウンキではすぐスエル(腐る)」 ウンテンバッテン=正反対、雲泥の差。 エの部 工、エー=ぞよ、よ、わ、「行く工」「行かん工」「そうエー」「どうエー」「あかなエー」「きなエー(来い。着よ)」 エーイクソ=ちよッ、なにくそ、「エーイクソ違うた!」「エーイクソやったれ!」 エーイヨー=何だねうるさい。「エーイヨーまてといったらまてよ!」 エーカゲンニ=たいていのところで。もうそろそろ。「エーカゲンにせい!」「エーカゲンにおこか(やめる)」 エーシュ=上流社会また人。「エーシュにあわんしみたれや」 ……エーヘン……しないこと。「ケーヘン(来ない)」「ケーヘン(来ない)」「セーヘン(しない)」ネーヘン(寝ない)」「イエヘン(言わぬ)」 エゲツナイ=いかつい、毒々しい、意地悪。 「エゲツナイやっちゃ」「そんなエゲツナイことするなヨ」 エセル=エセッチャル=人を馬鹿にして相手になること。 エテ=得意、おはこ、エテキチとも。 「ワイこれエテえのや」「あいつあれがエテキチゃ」 エラ=大変な、どえらい。 「エラもうけや」「エラぼれや」 エライ=つらい苦しい、甚だ、大そうな、 「あの路はエライで」「エライすまんこっちゃナ」 オの部 オイトイナヒテ=御身を大事に、病気見舞や久しぶりで会って別れるときの挨拶。 オイナヒテ=いってらっしゃいとおいでなさいと両方の意に用いる。「気つけてオイナヒテ」「ようオイナヒテ」 オエル=陽物の勃起すること、米麦をついては白げ終ることの両方の意に用いる。「あなもん見たらオエてくるナ」「さアもうオエタかな」 オーキ=大変に、大きに。「オーキ有難う」「オーキごっつォはん(御馳走)でした。 オージョ=閉口困却する。往生する。「オージョー、ウタワサれた(あわされた)」 オーツモゴリ=大晦日 (12月31日)これに対して12月30日はコツモゴリ。 オーライナ=大げさな、大そうな。「そんなオーライナこというな」 オキセ=飯茶碗の蓋だが小皿にも用いる。敬語のオをはぶいてキセともいう。「そこなオキセ取って……」 オキナル=大きくなる、生成する、金持になる。「あのうちもオキナッタ」(金持)「この子オキナッタラ楽になる(成長)」 オコス=よこすこと。「誰か1人オコシてくれよ。 オコオル=絶望、失敗する、オコは天秤棒のこと。 オコナウ=いぢめる、きつく叱ってやる。 「あいつ 1ぺんオコナウちゃろか。 オシキセ=一定量の晩酌。 「オシキセのんできげんよく寝る。 オジケサス=おそれをなす。 「オジケサシテ何も言えなんだ。 オシマイ=お終いなさい、日没後の挨拶だが、他家へ訪問するときにも才1声に用いらる。「オシマイな。」 オシャゲ=終末。一定期間の仕事のお仕舞。「これでオシャ ゲや」「オシャゲで1杯飲もうか。」 オセカス=教えること。「わいらあの先生にオセカシてもろた。」 オソワレル=うなされること。「おとろし(恐ろしい)夢みてオソワレた。」 オタグラ=あぐらのこと、オタグラカクという。「さァ遠慮なくオタグラカイて……」 オチャト=仏前に茶を供えること。毎朝毎夕簡単に仏をまつる意が含まれている。「じたらくなことでオチャトもせんで……」 オチョクル=嘲弄する。オチョケルとなるとふざけることになる。「ちょっとオチョクッタら泣いてしもた。「こら! おとなをオチョクルな。」 オト=おやぢ、亭主、父。「うちのオトときたらがんこ者で……」 オトコシ=下男 オナゴシ=下女 オナリ=食事のあとかたづけ。 オトノコ=オトンボ=1番末の子。「オトンボで甘やかして……」 オニゴト=おにごっこのことだが、相手を追うことをオワエルという、これからオワエゴク(ごっこ)の語が生れ「オワエゴクショウラ」となる。 オンシ=オノシ=オノレいづれも女のことだが、人を叱り又は罵る時にオノレがある。「オンシら何してら。」 「オノレ、承知せんぞ」となる。またオンシがオンシャともなる。 オバン=オバハン=年配の女の称。 オバハン=似て非なるものをさす語、オバサともいう。「蚊のオバハン (オバサ)やな、(蚊に似てそれより大きな虫)」 オヒキ=贈物を届けにきた使者に与える祝儀。 オヒマチ=ヒマチ(日待ち)とも。宮や講で物忌みして翌朝の日の出を待った習俗だが、酒食を共にすることが主になってしまった。 オメ=普通「メ」といっている。他から贈物をうけてその容器やふろしきなど返すとき返礼のしるしに入れる紙やマッチなど。 オル=オリ=水の中の不純物の沈澱すること、また沈下する(降りる)場合にも用いられる。 オル=有ることだが居ると混用して、他国人から嘲笑される。 「煙草ありますか、はいオリます」 「お母さんいますか、はいアリます」 オンザ(なまってオンダ)=季節おくれのもの、ひどく季節おくれのためかえって初物のように珍らしがられること。 「オンザの初物で……」 カの部 カー=釣銭のこと。「10銭でカー3銭くれた」 カイ=かゆいこと。 カイクレ=全く、丸で、「さがしたがカイクレわからん」 カイダルイ=だるい。もどかしいことにも。「あんまり歩いたので足がカイダルイ。「鈍な男使うてカイダルイことや。」 ガイサエ=大袈裟な、 (追加) ガイナ=手荒な、無作法な、とほうもない意にも用う。 「ガイなことカイ」「そんなガイナことするなヨ」 カイハツ=きわどいこと、あぶなかしいこと、 「カイハツなことするナ」 カイワイ=附近、そのあたり。「このカイワイにそんな家無いナ」 カカッテイク=反抗する。「なんばれ、かんばれいうてカカッテクル」 カカリゴ=親を扶養する子を親の方からいう。「男が生れてカカリゴが出来た。 カガル=薪や油を燃して煙が立つこと。「古い家でカガツて真黒ヶや。」 カキマデ=ごもく飯 カクスベ=蚊やり火 カクレゴト=かくれんぼ(子供の遊び) カケカマイナイ=無関係な、他人事。 「そんなことわしにゃカケカマイナイ」 ガサ=おちつきのない子。―ガサガサスル、ガサック、ガサツナ、ガサツモンとなる。 「あいつガサツモンでいつもガサガサ落ちつきがない子だ」 カジケル=寒さで手足の自由がきかなくなる。「手がカジケテしまって筆がもてん」 カジワルイ=勝手が悪い。その反対がカジ工工となる。「それは、わいカジワルイ。」「それならカジ工工。」 カスル=液体を全部くみ取ってしまう。 「池をカスッてしまった。「鍋カスッてしまった。」 力タイレ=ひいきにすること。 「わし、あいつにカタイレしてるんや。」 カタウマ=肩ぐるま。テングリマともいう。 カタミヤゲ=肩あげ。小供の和服にした。 「あいつまだカタミヤゲのくせに…… カッテボシ=わがまま、自分のことばかりしか考えぬ者、気ままもの。 カナワン=たまらない、かなわないの両意。 「行きとてカナワン」「あいつにカナワンな カマン=かまう、許可の両意。 「もうカマンといて。」「これしてもカマンか。」 カヤス=裏がえし、傾く、孵化する、ひっくりかえす、もとへかえるなど。 カラゲ=着物のすそをたたんで短くする。 カンピンタン=やせほうけた身体。 カンマエル=待ち伏せる、かまえる。 「……しようとカンマ工てるぞ。」 ガンマチ=人をつきのけて出しゃばること。 「ガンマチなやつだ、そないまでせえでもえ、やないか。 カンシャク=シャクにさわる、気にさわる。 「カンシャクなやっちゃナ」 カエルゴ=カイルゴ=ゲルゴ=おたまじゃくしのこと。 ガータロ=河童のこと、ドンガメとも。 「そんなとこで泳いだらドンガメに尻ぬかれるぞ。 ガッソウ=頭髪が長くそして乱れていること。 「こんなガッソウ頭でナリワルイ(ふうが悪るい)。 キの部 キー=心持だけのもの「ええも悪いもキーのもんや。 キカゼ=しらみの卵、昔の女児の頭髪に多かった。「あの児の頭キカゼで1ぱいや。 キガタ=気持、心もち「そんなキガタの悪いことするな」相手の気持を悪くする時に用う。 キキハツル=くわしいことも知らず事の一端だけをちっと聞く程度のこと。 「ちょっとキキハツッテ来て何言うのや」 キコ=貴公からか。君のこと。 「キコ、久しぶりやナ」 ギシャバル=人を押しのけ、はちのける。「あいつ1人ギシャバッていて話がまとまらんのや。」 キズッナイ=心苦しい「こんなにしてもろうてキズツナイ。」 キツイ=猛烈な、つよい、甚しい、 「キツイ寒さやナ」「選手になって練習がキツイ。 キッソ=縁起「それがキッソがええ」 キヨービ=今日この頃、この節。「キヨービそんなこというてもはやらん。」 キハココロ=気は心、物より心に重きをおくこと。「まアまアキハココロやよってな。」 キンニョ=昨日それがキンニョノバンとなると、昨晩のことだが1昨?の意にも用いられた。 キヨウハノ=今日ハ……と今日ノ……が入りまじったもの。「キヨウハの話おもしろかったナ」 キタナカ=1段の半分5畝のこと。キタは段ナカは半分のこと。 キンカアタマ=はげちゃびんのこと 「あたまキンキンにはげてる……」みかんにくらべて、きんかんのほうが、すべすべ光沢のあるとこからキンカアタマのキンを重ねてキンキンとなったか。 キレコム=収支償はぬ、損がいく。「そんな値ではキレコムがナ。 キレモン==物 クの部 グアイシキ=ぐあい、勝手。「初めてのことでグアシキが悪い。 クー=苦労、心配。「わしもクーの多いことぢゃ」 グー=工、工賃、仕事するのに必要な手間。「だいぶグーがか、る」「よくグーつめるナ」 ……クサス=しかけてやめること。「たベクサシていきよった。 クサッタ=つまらぬ、きたない。「クサック風してきた。クサッタゲナとも。 クズヤ=クズヤブキ=カヤまたはワラぶき屋根の家。 クソドンナ=無器用な。「何をさしてもクソドンナやつや。 グツワルイ=グツは都合、工合、悪い場合だけに用いる。グツよいとはあまり使いない。「そいつはグツワルイな..... クベル=火の中に入れる。 グミタハル=だだをこねる。 クサビラ=一般に食用以外のキノコのこと。 クロ=グロ=グル=山地でイバラなどがたくさん生えたりしているのをクロ、それから山地につづいている田のヘリをグルとなる。それからグルカリ(田のあぜ草刈り)。またグルッポの語もある。 ケの部 ケーナイ=ケは気、けはい、そんなけしきがない。 ケースケナイともいう。ケヤナイとも。ケーもとも。 ケッタイクソノワルイ=いまいましい。 ケッタクソワルイとも。 ケツワル=中途で投げ出してしまう「とうとうケツワッてもたナ。 ケナリイ=うらやましい、ケナルイ、ケナリガルとも。 ゲビツ=米びつ ゲラ=よくげらげらと笑う人。 ゲラゲラト=冗談に。 「ゲラゲラと、ほんまやで。 ゲンクソワルイ=縁起の悪い、 ケンタイ=はばからず遠慮せず、当然の如く。 「よその家に来てもケンタイで飯をくっていきよって―― ゲンナリスル=がっかりする、力をおとす。 ケンケン=片足とびのこと、子供用語でケンケンして石蹴りをする遊びをケンケンパーという。 コの部 ゴイサレマセ=ごめん下さい、えらい目に合ったときにも用う。「あいつにゴイサレマセ言わされたワ。 ゴウセナ=懸命なこと、せいだす。「ゴウセニするなア。 コーケナ=少しも遠慮せず当然のこと、コーケニ、またコーケハチケニとも用う。 コウショナ=勝気な、頭の高い。「コウショナコというもんでないわ。 コケル=たおれる、ころぶこと。「あわてるとコケルぜ」 ゴータレ=ゴータレモン=放蕩者。人の悪い。 「あんなゴータレもん、よけないな。」 コーヤマイリ=便所に行くこと、とくに大便。 コギダス=強いておごらせる意だが、それとなく相手に求めることにも。 「うまいことコギダシて、ごっつおになったナ。 ゴキントー=ていねいにきちょうめんに。 「それはゴキントーなことで恐れ入ります」 コグセ=苦情、なんくせ。「なんだかだとコグセをつけよって……」 ココタシ=ココタリ=ココラタリ=この辺。 「たしかココタシやったが……」 ココラワルイ=気味悪いこと。 ココロヤスナル=親しくなることだが、とくに男女間の場合、私通の意になる。 ……ゴシ=ごと、と1所に。「容物ゴシ忘れてきた」「子供ゴシ引きとった。 コシラエ=準備、支度。「大そうなコシラエで(嫁入り)」「するコシラエシしている。 コセ=小さなことをとやかくいう人。「あいつコセやさかいうるさいぜ」 コス=コセ=ごつごつひねくれたこと。 「この木、コセちゃるナ人をいぢめることをゴシチャルともいう。 ゴッサン=御新造、若い方の奥さん。 コッテウシ=牡牛のこと、コッテとも。 ゴット=ゴットニー毎、ごとに。「行くゴット物をくれる」「来るゴット訪ねてくれる。 コテ=暮しむき。金まわり。 「あの家も近頃コテええぜー。 ゴテ=口入業者。ゴテさんとも。 ゴテック=粉援する、ごたごたする。 「えらいゴテッイテ、おさめるのに骨おれた。」 コナイダ=過日「コナイダはどうもすまなんだ」 コナカラ=2合半のこと。 コナス=けなす、くさす、クソをつけてクソゴナシ。「クソコナシに言うてやった…… コアツ=少しづつこわしていく、くずしていく。 コマル=はさまる。「歯に物がコマっている。 コラエル=容赦する。「もう コラエちゃれよ」「わるかったコラエてくれ。 コル=熱中する。のぼせる。「あの女にコッてる」「碁にコッてる。 コンダ=今度は、この次には。「コンダうまいことやってみる。 コンナン=来なければならぬ。 「わいもコンナンか?」「何でも1ぺんコンナイな。 サの部 ザーモツ=腫物の縁が赤く腫れて堅くなる。 サーシコト=久しい間、長いこと。 「あいつ人をサーシコト待たせよって。 サーヨシ=さうですね。 サイゴ=その時こそは、その時すぐに。 「来たらサイゴどやしてやる」「来たらサイゴ金くれや。 サカイ=サカイニ=サケ=……だから……故に。 「そうやサケ言うといたやろが。 サクバタツ=シャクバタツとも。 とげなどがささること。 サカメイル=酒乱。「あいつと飲むとサカメイルのでうるさい。 ザザモリ=なまってダッダモリとも。はげしく水がもれること。「ゆんべ(昨夜)の雨で、屋根がザザモリや。 ザスイ=ぞんざいな、なげやりな。 「あいつの仕事はザスイダスイとも。 サナズリ=サナズル=手さぐり。だいたい見当をつける。「サナズリで言うたらあたつていた。 「暗りでサナズリで歩いた。 サバケタ=物わかりのよい、粋の利く。 「サバケタ人で小言もいわなんだ。 サラク=支度、用意、始末。 「サラクが早い」「サラクええ人や。 シの部 シアルク=深い目的なしにことをする。 「あんな事シアルイてどうするつもりや。」 ジク=草木の茎のこと。 シケル=しょげる、やつれる。 「あいつ近頃シケてるナ」 シコナ=あだな(ニックネーム) ジチメ=まじめに、着実に。 「もっとジチメにやれ」 ジッチリスル=おちつく、しずかに。 「ジッチリ勉強しな。」 ジックリ=ヂッチリと似ているが意味強い。 シナコイ=しなしなして堅く歯切れが悪いこと。 「この肉シナコイなァ」 シナラズオイ=シナリズオイとも、弱そうでたおれない、負けそうで負けない。 「あいつシナラズオイ男で長いわずらいでもまだ生きている。」 シニクイ=扱いにくい人のこと。 シビット=シブト=とも、死人のこと。 シビクタ=野菜などのしなびたのや発音の悪い小児のこともいう。 シブチン=シブッタ=シブッチヨ=けちんぼうのこと。 ジベタ=地面のこと。 シマイ=万事休する意。大変。 「そんな事したらシマイや。」「あ、あ、これやシマイヤ。」 ジャガイモ=ジャガタライモ。 ジャガタラはジャワ島バタビヤの旧名。そこからオランダ人がもって来たという。 シャクバル=降参する、エライめにあう。往生することから死ぬことも。 シャチコバル=堅くなる。「そうシャチコバラント楽にしなよ。 ジャラジャラ=ふざけて、不真面目に。 「何をジャラジャラ言うてるのや。 シャリコツ=骸骨 シャリコベ=どくろ、されこうべ シャルク=歩く 「1日中シャルキまわった。 ジュウヤク=ドクダミ(薬草)のこと。 10種の病にきくという民間語。 ジュンサイナ=如才のない。心のおけぬ人。 ジョーキ=汽船のこと。 ショーモナイ=つまらぬ。しかたのない。ショウナイとも。「ショーナイ人やな「ショーモナイ事や。 ショテ=最初。 ショッパナ=真最初。ショテッパナとも。「ショッパナから文句いわれてよ。 シルイージルイ=ぬかるんでいること。 「道がジルイので長靴はけ。 スの部 スイド=下水溝。 スイナョー=であろうが、ちよっとあきれた場合、それが品物であろうと人の行動のときも用いる スイナヨ=あんたも行ったの」「これスイナのーあたいも1つ買う。」反面また、よう いわんわ、馬鹿にしてらアといった用いようもある。 スイ=酸っぱいこと。 スエル=腐ること。 スガキ=(ゆか)「スガキの下から猫がでてきた。 スカクワス=居るべき時または処に居ない。 かるくだまされた場合にも。 「長く待ったけどとうとうスカクワサレた。 「あいつまたスカクワわしよった。 スクゾ=スクドとも=松の落葉。 「スクゾかきに行く」(落葉を拾い集める) スケ=その事を嗜む人につける言葉。 「クイスケ(大食漢)ノミスケ(大酒飲み) スコ=スコタマ=スコタン=頭のこと。 「スコはりまわされた。」 ズズケ=頭をぶっつけることだが、これをズズケカマスという。また頭のみでなく強くぶっつけていくことにも。 スズコナリ=鈴生り。たくさんかたまって生えているさま。 スッチョナイ=愛嬌のない。すげない。 「スッチョナイ娘やの。」 スットコ=下着などつけないでぢかに着物をきること。それから何もない。出来ないことにも用いらる。「スットコで風邪引いた」「あいつときたらスットコや」 スバクラ=無責任、出たらめ、いいかげん、こんな者をスバクラモンという。 「あのガキ(あいつ)スバクラ モンや。 スマ=スマッコースマンコ=スミクタ=スミン コ=いづれも隅、隅の方。 「あんなスミンコにかくれている。 ……ズメ……どうし。「来ズメに来る。」「泣きズメに泣いてる。 スリビ=マッチのこと。 ズルケル=なまける、怠る。 このほかに結んだものが解けたり、ゆるんだりするのにも用いる。「とうとうズルケてしもて出来なんだ。 「荷物のひもがズルケている。。 ズワエ=樹木の徒長技のこと。ズバイとも。またバイともいっている。 セの部 セー=浅瀬、急流。「セーがきつい。セーになってる。」 セー=精力 セーオチル=失望落胆。セーオトスも同様。 セーニナル=滋養になる。力がつく セーダヒテ=しっかり、勉強して。 セーナイ=張り合がない、力をおとす。 センド=余程前。「もうセンドのことやけど。 セキタン=石油のこと。 (石炭ではない、) セコンド=懐中時計のこと。 セチベン=細いことをやかましくきちょうめんなこと。 セドリ=はしけ舟のこと。またたくさんの品物を少しづつ運ぶことをセドリという。 セブル=せびる、せがむこと。セビルとも。 セリアウ=混雑して押し合う。また人と張り合う意にも。 セワナ=面倒な、世話のやける。 セル=急がす、せかすこと、 「もっとセラナあかん」「.…セラシちゃれよ。」 セングリセングリ=順々に、だんだんに。 ソの部 ゾ=か。「だれゾに聞け。「どこゾにある。また語尾につけて強める意にも、「するんゾ。」「あるんゾ。」 ソーナ=相応な。「ソーナもんや」で可なりのものだの意。 ソーヤカテ=そうかと言って。「ソーヤカテ一概に言えんで。 ゾーヨ=雑費用。「うちはゾーヨがいりすぎるで。」 ソコタシ=ソコタリ=ソコラタシ=ソコラタリーその辺。そこらじゅう。 ソシラン=素知らぬ。何気なく。「ソシラン顔して見てこいよ。 .…ソソクレル=時機をはずしてしまう。 「寝ソソクレてしもた。」「言いソソクレタ。」 ゾットセン=感心しない。あまり気に入らぬ。「この品あんまりゾットせんな。 ソラセン=ソラはそんな気がせぬ意。 「あわてたので飯食ったソラせなんだ」 ソラソート=それはそうと。「ソラソートね、あの娘之、こやナ。 ソロット=静かに、そうおと。「ソロットしてやれよ、目をさますぞ。」 ソン=血統や血筋。「親のソンであいつも気短かや。 ソンダケ=それだけ、それほど、「ソンダケ言うたら気がすんだやろ」 ゾンブ=十分に、1杯に。「思うゾンブのことしてきた」 タの部 タイガイ=ずいぶん、え、かげんな。 「そりゃタイガイな事や。」 「タイガイにしておきな」 タイセツナイ=大切な、りっぱな。 「タイセツナイお道具をおかりしてー」 ダイヅカイゾ=誰か彼か、そのうちに誰かが。 「ダイソカソ来るにきまってる」 タイテ=はしたなこと。めいわくめいたこと。 「タイテにしとけ」「タイテなこっちゃ。」 タカ=結着のところ。総額 「タカをくくる。「タカがしれている。またタカを鷹として仲間うちで1番えらそうにすることを「あいつタ力している」と用いる。 タカアシ=竹馬のこと。 タカル=くっつく。止まる。 「虫がタカル」「雀がタカル」 タギル=群をぬいて勝れているタギレルから出たと思われる。1人いばっている。えらそうにすることをタギルという。 タコッル=叱られる。ひどく叱られる。 「あの先生にタコツられた。 タゴル=咳をすること。 タシマエ=不足分の補充。 「夕シマエはわしが出してやる」 ダダケル=ダダをこねる。 …ダチ=そのあとすぐに。 「もらいダチやけどいんでくら。(帰ります) タナモト=クノモト=食事の後仕末。または炊事用意など台所の仕事。 タナル=果物などが成熟すること。 タバル=神仏に供えたものをいただくこと。 タニ=為に、とっては。 「お前のタニはええことぢゃ」 ダンジリ=山車(だし)のこと。祭の催物のタイコなどをのせて引いたり、かついだりする。 タンポナ=タンポポ。 とくに春の若草つみの場合その葉のみを指すこともある。この草の方言名は少い。 タンボとター=同じ意味につかわれる、稲をつくる水田のこと。 タンネル=尋ねる。「あの家でタンネてみな。」 チの部 チッタカシ=チッタカリ=少しばかり。 チッチ=虫、小鳥の幼児語。 チッチリ=松実、松かさ。 チマブレ=血みどろになること。 チャキチャキ=有名な。錚々たる者。 「あの人は仲間うちでもチャキチャキや。」 チャチャイレル=ぢゃまする。半畳を入れる。 チャチャムチャク=めちゃくちゃ。 チャッチャト=早く、急いで、手ばやく。 チョカ=チョカチョカスル=何ごとにも手や口を出す者。 チョケル=ふざける。 チョカイダス=いらざる口をさしはさむ。 無用のことに手を出す。 チョッコト=小ざかしく、分不相応に。 「チョッコとえ、着物着てるナ」 チョッパナ=第1番に。先端。 チョボチョボ=だいたい同じくらい。 チョロイ=チョロクサイ=チョロコイ=まどろこしい、のろい、弱々しいこと。 チョロマカス=相手をごまかす。とくに金銭の場合によく用いる。 チラカス=あと始末をつけぬこと。 シをつけてシチラカスとも用いる 「たべチラカシてきたない。」「シチラカシたままほってある。」 チン=子供の間食。また駄賃の意にも。 チンダイ=軍隊、兵隊。 チンチ=銭。硬貨紙幣をひっくるめて、だいたい幼児語、金銭のことはゼニ、なまってデニとも。 ツの部 ツイド=1度も、未だかって。「ツイド見たこともない人や」 ツクモル=しゃがむ。 ……ツケ=慣れる、常とする。「行きツケの家」「買いツケの店。 ツケッケ=無遠慮に、づけづけ。 ツケネ=肢体の胴体にくっついた処。 「足のツケネ」 ツケメ=ツケメトリー役得、物をねだる口実。「あいつツケメトリやさけ気をつけよ。 ツジ=頭のつむじ。ウズともギリとも。 ツッパリ=ツッパリカウ=しんばり棒、しんばりをかう。 ツボカン=勘違い。 ツマエル=ツンマエル=せずに居る、抑制する。ツマンで穴をふさぐこと。 「息をツンマエル。「鼻をツンマエル。 ツメル=つねる、ひねる。はさむ。懸命になる。「わが身をツメル。「戸の間に指をツメた。「根をツメル。」 「仕事をツメル。」 ツラ=顔、本義はホオのこと、ホオとホベタ、ホーベタなどという。 「どのツラさげて来たのヤ」 ツラクル=つり下げる。 ツルノマゴ=玄孫、曽孫の子。 ツレモテイコラ=連れだって1緒に行こう。 ツロ=たろう。 「あっツロよ」(有ったろうよ。) ツロク=ツロクスル=釣合、相当する。 ツワル=春になって木の芽ぐむこと、樹皮と木質部の間に水分が増すこと。 「木がツワってきたので皮がむきやすい。 テの部 …テ=てくれ。…てください。これが…テイタ。これがていねいになると…テイターカイテ。略して…テイターともなる、「早う来て」「早う来テイタ」「早う来てターカイテ。早う来テイタ。最後にヨをつけて「早う来テイタヨ」などともなる。 デーライ=大変に、ドえらい。 「デーライ話や。」「デーライ人や。 テガウ=からかう。相手になる。 「もうテガウなよ」「あいつにテゴウちゃろうか。 テキ=彼。あいつ。「おいテキつれもていこらよ最後にヤをつけてテキヤとなる。「テキヤ達者なか。と第3者を指す。またサンをつけてアンテキ、アンテキサンともなる。 デキモン=おでき、腫物、これをつぶすことをツヤスという。「デキモン、ツヤスとき痛たかったぜ」 デコ=人形、土偶。サンをつけてデコサン。 テコネル=くたばる、死ぬ。 テッペ=頂上、1番上、テッペンとも。 デテング=レテングのこと、洋風の小さなさをばかり。 …テーナー=…いなさい。と希望を含めた意とある。「来テナ」といえば来ていなさい。「来テーナー」は「来て下さいよ。」 デバック=ものもらい。まぶたに出来る腫物。 デボチン=おでこ テヤイモヤイ=身ぶり手ぶり 「テヤイモヤイで話してた。 テンカラ=頭から、初めから、全く。 「テンカラ相手にもしてくれん」 テンキリ=最上等品「これがテンキリで…」 デングリガヤス=ひっくりかえす。 テンコ=頂上、天辺。「あの山のテンコに…」 テンゴ=いたづら、ふざける。「うるさい、テンゴするな。」 テンコモリ=山盛り、飯など茶わんに高く盛り上げること。 テンデニ=めいめい1人々々に、 「テンデに持って行きよった。 テンビミタイナーテンビは流星のことだが 酒飲んで顔が赤くなること。 「テンビミタイな顔して坐っている。 トの部 …トイ=そうな、…という。 「…したトイ。」「言うたトイ。」 トー=トイに同じ、「あいつも行くトー。」 ドー=どれどれ、「ドー見せてみよ」「ドー行ったろ。」 ドーゾコーゾ=どうにかこうにか。 「ドーゾコーゾ追いついた。」 ドーナリコーナリ=右に同じだが用いかたが少し違うようである。「ドーナリコーナリすんでしまった。 トーニートニカラ=前々から、早くから。 「トーニからわかった事だ」 トーノムカシ=余程前々から。 「トーノムカシにそんな事あったナ」 トオケ=1斗の米を容れる桶。 …トカ=…ておくわ。 「いかんトカ。「やめトカ。 ドカ=急激。1時に多いこと。ドカトとなると急激にとなる。「ドカ喰いした。「ドカのみする。 トキヨリ=ときどき、時折。 ドグサイ=愚鈍、不器用。強めてドングサイとも用いる。「ドグサイ男やナ」「そんなドングサイことでー。」 ドクショ=無情、ひどいしぐさ。 「ドクショなことしよって、どいつや。」 ドケル=とり除く。「この石ドケとけよ」 …トコ=…しておこう。「やめトコ」「植えトコ」 ドコタシ=ドコタリ=どこらどのへん、ドコラタリとも。 トゴリ=沈澱物。液体の底にたまった塵またはかす。沈澱することはトゴルという。 ドサリコム=乱入する。「多勢でドサリコンで来よってー。 …トシ=…そうな、トイともいうがそれよりも丁寧。 「あるんやトイ」「あるのやトシ」 ドダイ=ドダイゴク=どうも、まるで。 「ドダイ無茶な話や。」「ドダイゴクわやや。 ドタマ=あたま。「ドタマ、クラワシチャロカ」(頭なぐったろか) トッテツケタヨナ=そぐわない、あまりにも技巧を弄しすぎた。「トッテッケタヨナ挨拶しよって、こころ悪かった」 トット=とんと、1向に。「トットわからん。」 ト=早く、急いで。 「そんな事ぐらいトットトやってしまえ」 トットキ=めったに出さめ大事な。「1つトットキの話あるんやけどー。」 ドットセン=ソットセンあまり気の進まぬ。 「そいつはドットセンな。」 トッパナ=最初、端。 ドバリコム=どんぶと落ちこむ(水中など)「そんな所であそんだら池へドバリコムぞ。 ドムナラ=ドムナラン=ドモナランともわんぱく、手におえぬいたずら児。 …トモナイ…=したくない。「あそこには行きトモナイな。」 トラゲル=分娩を助ける。産婆。 トリエ=長所。「なんのトリエもない男や。 トロイ=強くないこと、物にも人にも用う。 「火がトロイな」「トロイ人や。 ドンゲツ=びり、1番最後、「マラソンでドンゲツや。」 ドンダ=ドンザ=厚い綿入のはんてんで、さしこにした外衣、重に漁夫が用いた。 トンポニ=突然、予告なしに。「トンポにそんなこと言ったって困まる。 トータツ=根菜類の中心から花をつける茎が伸びること。野菜としての価値がなくなる。 「あいつもトータッてきたナ。」など用いる。 ナの部 …ナ=…ぬぞ。…ねば。 「行かナ」「せナ」「せナわからん」 ナー=…せよ。「行きナー」「おいナー」またナーエとも用いる。「行きナーエ。」 ナイモセン=有りもせぬ。「金もナイモセンのにぜいたくなこと。」 ナエル=しおれかえる。しょげる。「あいつこの頃ナエコんでしもてる。」 …ナト=なりとも「せめて飯ナトくていけよ。」 ナナヨ=ナナヨシ=そんなことはない。 ナマクラ=ナマクラモン=ぬらりくらりと煮えきらぬこと。嘘つきのことにも。 「あのガキ、ナマクラで何言うやらわからん。 ナマハンジャク=中途半端な。 「ナマハン ジャクなことしてしもた。」 ナマル=ナマッテシマウ=しょげてしまう。なえてしまう。 ナメタ=ナメクターだらしない。なげやりな。 「そんなナメタ(クタ)なことして――。」 …ナラ=…ですか。「誰ナラ!」「どこえ行くんナラ。」 …ナリ=…のまま、…きり。 「袋ナリおいてきた。」「1月も寝たナリや。」 ナリ=体裁、外観。「それではナリ悪いナ。」「ナリふりかまう。」 ナリクソワルイ=ふうが悪い。 ナリクダモノ=果物類、またその木もさす。 ナンカス=何ぬかす。 ナレズシ=シモズシ、有田を中心とした南紀州独得の鮨。 ナンギ=困却、めいわく、貧乏。 「今もナンギ(貧乏)ゃ」「それやナンギやな」(困る、めいわく。) ナンゾミタイ=形容の言葉に困ったり、明かに言えぬ場合に用いる。 「ナンゾミタイな話やなア。」 ナンナラ=御都合次第で。「ナンナラ今晩宿っていったら―」「ナンナラ1しょに行こうか。 ナンナラ=何か「あれナンナラよ」 ナン ボナイト=いくらでも「ほしかったらナンボナイト持っていけよ」 ナンキン=カボチャが全国共通だが、ナンキンカボチャと2語つづけて、多少ふざけていうこともある。 ニの部 ニエコム=めりこむ、「雨で車が山路でニエコンだ」 ニエル=皮膚を打って皮下出血してアザになること。 ニガモチ=8朔から夜なべ仕事が始まる。この日に喰う餅。 ニクタレグチ=悪まれ口 ニクタラカシ=憎らしい ニクテグチ=憎まれ口 ニタカ、ヤイタカ=以たもの、同じようなもの。 「それやニタカ、ヤイタカやな。」 ニタリ、ヨッタリ=右と同様な意。 。 ニッテンコボシ=直接陽光にさらされること、ニッテンボシとも。 「ニッテンコボシに帽子もかぶらずに―」 ニットモセズニ=にこりともせずきまじめに。「ニットモセズニ面白い冗談を言う。 ニドイモ=ジャガイモのこと、春秋2度収穫できるから2度芋。 ニナイ=天秤棒でかつぐ水桶のこと。 ヌの部 ヌイモン=針仕事のこと。 ヌー=川や池沼の底にあるどろどろの泥。 …ヌクイ=…しにくい、難い。 「行きヌクイ」「シヌクイ」 ヌケソ=途中で脱出すること。 「学校をヌケソして山で遊んだ」 ヌワル=つきささる。 「とげがヌワった」 ネの部 ネキモン=ローズもの、売れ残り品、 「ネキモンやからまけときます」 ネコノクソ=猫の糞に似た駄菓子の名。 ネチコチスル=ねちねちする。 ネリカヤス=反芻することから、同じことをくり返していうこと。 ノの部 ノイ=ねー。ノシの崩れたもの。 「あのノイ。」 ノーナル=なくなる。死ぬ。 「あの人もうノーナッた。 ノシ=ねえ。「ヨシ」とともに和歌山方言の代表特異な語。「あのシ。わたしノシ。そうやノシ。 ノジアル=長もちする、消耗するのに長時間もつこと。「この炭ノジアルな。「この布地ノジアルでえ。 ノシャゲル=乗りあげる。「船が島へノシャゲた」 ノッケ=最初。と上向きになるの両意がある。 「ノッケにやられた(しかられる)」 「ノッケに倒れた(仰むけにたおれる)」 ノツコツ=はら1パイになる。どうこうもしようがない。「もうこの仕事ノツコッした。 ノノコ=布子、綿入れ着物。 ノバス=財産をつくる。身代を大きくする。 「あの家だいぶノバシたな」 ノホゾナ=ノホズナ=づうづうしくあつかましく大胆なこと。 ノラ=なまけ者。「ノラの節句働き」 ノシロ=苗代ナワシ 口のことだが、このへんではナエシロという、ノシロ作りのことをノシロジメという。 ハの部 ハ行の音のサ行化=京阪神一般に行はれるようにハだけに限らずサ行の音に代って用いらるものが多い。 「誰々サン=誰々ハン」 「…しマシテ=…シマヒテ」 「すてる=フテル」 「ません=マヘン」「そんなら=ホンナラ」 ハー=半端。「7を3で割ると1つハーになる」 バイトリガチ=勝手ほうだいに取り次女。 ハガイ=はがゆい、くやしい。 ハカイク=はかどる、ハカガイクも同じ。 ハゲチョロ=ハゲチョロケル=色がはげ、あせる。「こんなにハゲチョロケてしもうた。」 ハゴテ=はがゆい、「ハゴテハゴテ夜もねむれない。」 ハシカイ=すばしこい、慧敏な、 「この子ハシカイでー。同じ語で、むずがゆい意もある。「麦打ちして背中がハシカイ。」 ハシャグ=乾いてカラカラになること 「桶がハシャイデ水がダダもりや。 ハシャルク=走り歩くだが、方々ほっつきあるく意も含めているようである。 「今頃までどこハシャルイてたんや。」 ハシリ=台所流し元のこと。同じ語で初めて他より早くとれた収穫物をいう。 「これハシリやでー。」 ハシリゴク=走りごっこ。競走。 ハシリモト=ハシリ=台所流し元。 ハタ=横合、13者。「ハタからがやがや言うなよ」 ハダハダ=しっくりと合はぬこと。人事の場合によく用いる。「あいつとハダハダになってもた。」 ハタラキド=労働者のことだが、よく働く者の意もある。「ハタラキドやさけ、ぜいたくでけん」「あの者はハタラキドや」 ハチカル=股をひろげる。「もっとキチンと坐れ、ハチカルなー。 ハッサイ=バッサイ=おてんばのこと。 ハッタリ=虚勢を張って嘘やでたらめで相手を煙にまくこと。 「ハッタリ、カマしてやったら引っ込んでしまうたー」 ハテキリガナイ=ハテキリナシ=はてしがない際限が無い。 ハデナョー=人が冗談半分に乱暴や粗野な風や振舞をするのを冷かし半分にいう言葉。「なんとハデナヨー、車を電柱にぶっつけた」 ハドル=恐れをなす。「えらい人の前でハドッテしもた。」 ハナ=最初。また同じ語で「先端」をさす。 「嫁に来たハナが大事やで。 ハリコム=おごる。奮発する。 「どれ1つハリコンだろか」 ハリノミド=針の穴 ヒの部 ヒアタリアメ=そばえ、ひなた雨。 ヒー=燈火のこと、電燈の場合にも用いる。 「暗いなヒーつけよヨ。」 ヒエ=梅毒、瘡毒、これにかかった人をヒエカキという。 ヒガイソナ=やせて弱々しい者。 ヒガナイチニチ=1日中、終日、「ヒガイソナ児で、ヒガナイチニチ泣いてばかりいる。」 ヒガライ=いがらっぽいこと。「なんとこの大根おろしヒガライな。」 ヒキサガス=めちゃくちゃに物をちらかす。 ヒキヒキ=相殺すること。贈答など双方で見合しにすること。「おたがいにヒキヒキにしておきましょう。」 ビクサン=尼僧のこと。 ヒダルイ=ヒダルバラ=ひもじい、すきばら。 ヒチ……語意をつよめるためにつける。 「ヒチめんどうな」「ヒチむづかしい」「ヒチクドイ」などと。 ピッカラ=ビッシリー常時、ずっと引き続き。 「ビッシラおれの家に居る」「仕事がビッシリつづいている。 ……ヒテ=…ぢゃないか。させて下さい。 「有らヒテ」「行かヒテ」「ごめんなヒテ」 ヒテヨ=前2者を強めていう語 「行かヒテヨー(行くぢゃないか、行かせて下さい)」 ヒトカタキ=1食分の食糧 ヒナタヌクモリ=日向ぼっこ ヒネ=今年のものでないもの「ヒネ米」。また年をとる、ませてるの意で「あの子ヒネてるナ」。これがヒネク レとなると根性まがり、意地悪になり、ヒネコベルとなるといやにませくれたとなる。 ビビル=音がびりびりひびくこと。それから相手をへきえきさせる意にも用いる。 「あいつビビッてしもた。」 ヒメ=女一般を指すが、いろ女の意が強い。 「あれおまえのヒメかい」 ヒモンザイ=火なぶりする、ヒモンダイとも。 「ヒモンザイしたらヨバレ(寝小便)たれるぞ。 ヒヤイナ=あぶなっかしい。 「ヒヤイナ所にこんな物置いといてー。 ヒヤクヒロ=腸、はらわたのこと。 ヒヨ=日傭人夫、この人たちをヒヨトリという。 ヒルヒンナカ=白昼 ビンギ=仕事のついでに、ついでたのむ意。「すまんけど、これビンギにたのむぜ」 フの部 フイ=不用、無用「そんなフイなことすんな。」 ブー=自分の取りぶん、また、ほう(方)の意もある。「もっとくれよ、わいのブー悪いで。」 「まアまア之之ブーやな。」 ブキッチヨナ=無愛想なと不器用の両意あり、「ブキッチヨナものの言いかたをする。 「そんなブキッチョな手つきであぶない。 フジクラ=麻裏ぞうり フセル=封ずる、防ぐ、禁忌する。 「山伏が火をフせた。」「盗人をフセル」 ブッシヨー=仏寺へあげる米。またそれを入れる袋を仏餉袋という。 フテル=捨てる、また捨ててしまうことをフテラカスという。 ブニ=自分のもっている運賦。 「今日はブニついてるナ」「あいつはブニシヤ(者)だ。」 フルッギ=ぼろぎれ フンマエル=ふまえる。,ふみつける フングリ=フグリ=睾丸 への部 ヘートモ=何とも「そんなことヘートモ思わん。 へガス=ひッペがす ヘギモチ=かき餅 ヘキリ=仕切 ヘグ=平に薄く削りとる ヘゴッタ=ゆがんだ形、おもに果物類の末なりの形のゆがんだものなどの形容。 「みかんのヘゴッタ」 ベサイツケル=押えつける、ベッサイツケルとも。 ヘシオル=むしり折る。「木の枝をヘシオッテしもた。 ヘシコム=おしこむ ヘシボル=しおれ枯れる。しなびる、ヘシボレルとも。 ベタ=最下位、どん尻。ベタクソとも。 ベッタ=最後になる。ベタと同意。 「試験はベッタや。」 ヘッル=他のものを無心して少しとる。 「あいつにだいぶんヘツラれた。」 ……ヘナ=……しないわ 「知らヘナ(知らぬだろう)。知れヘナ(知るまい)」 ヘナイボ=水痘 ヘナヒテ=……ないじゃないか 「知れヘナヒテょ」 ヘネコ=男根 ヘラコイ=ヘラッコイ=づうづうしい意。物事にあまりおぢけない意。 「ヘラッコイ子やな。」 ……ヘン=せぬ 「行けヘン(行かない) 行かヘン(行かない)」 ペン=鉛筆のこと、これに対して「ペン」をケンペンといった。 ヘンガクル=病があらたまる、危篤になる。 ヘンゲタ=変な、ぶざまな「ヘンゲタものこしらえたなア」「ヘンゲタことになったなア。」 ベンコツ=雄辯、辯舌。「あいつベンコツがたつな」 ヘンゴム=凹むこと ヘンジョーコンゴー=いろいろとつべこべと。「いつまでもヘンジョーコンゴー言うてる。 ヘンテツモナイ=平凡な、変ったことない。 ベンベラ=薄っぺらな。 ホの部 ホイカテ=それかとて「ホイカテそう安々といかんで。」 ホイジャ=それでは ホイタラ=そうしたら、それから ホイテ=そうして、そして ホイデ=ホイデニ=それで ホーカナ=見事な、手際のよい。「なんとホーカナもんやな。」 ホーグ=反故、紙くず ホースケ=まぬけ、馬鹿者 ホード=さんざ「ホード探したんやけどー。」「ホード人をまたせておいてー。 ホカス=すてる、投げすてる …ホカナイ=ホキャナイ……しかない 「1つホカ無いんや」 ホソ=細く「もっとホソ削れよ」 ポチ=祝儀、チップ。これを入れる小袋をポチ袋という。 ホッコリセン=思はしくない、感心せぬ。 「あんまりホッコリセン話やな。」 ホテ=ホテカラ=ホテカラニ=そして、それから、そうしてから。 ホドケル=解ける。「帯がホドケた。」 ホドライ=目分量、およそ、いい加減、「ホドライでやっておこう。 ホニ=ほんに、なるほど「ホニそうやな。」 ホヤ=ホヤサカイ=ホヤサケ=そんなら、それだから。 ホーラシナイ=だらしなく不体裁、とり散らかしている状態。 ホラクル=すてておく ホリサガス=散らかす ホレソ=それごらんなさい ホロシ=蕁麻疹のこと ホンナ=なるほどね ポンポン=横柄に、怒った顔で。「そないポンポンおこるなヨ」 ポンヤ=淫売宿 マの部 マー=すぐ、ついその「マー前(すぐ前)」「マー横(ついその横)」 マー=もう、もっと「マーこれだけになって。」「マー少しくれよ」「マー1辺やれよ」 マイガミ=でっち小僧 マエル=マドウ=辯償する、債う マクス=ころがす。「土堤からマクレ落ちた。」 …マクル=…やってのける、心ゆくまで。 「やってヤリマクッてやった」 …マスラ=…ますぜ…ましょう。 「人が笑いマスラ」「私も行きマスラ」 マゼ=南の風 マセタ=マセル=おとなくさい。おとなびる、 「子供のくせにマセたやつやな」 マタイ=つよくない、のろい マッサラ=まんざら「マッサラそんな事ありますまい。 マッタカシ=マッタカリ=マッタラカシ=もう少し、せめてもう少し。「マッタラカシ事でもするかと思うたのに。 マット=もっと「マットほしいもんや」 マットー=正直、まじめな「マットーな人やさかい大丈夫や」 マドロイ=マドロクサイ=マドロコイルのろくさい、のろい。 マネクソ=極少し「マネクソほどしか呉れなんだ」 マブイ=まぶしい、まばゆい「日ァ照ってマブイな。 マメ=壮健、達者。まめまめしいこと。 「お母さんマメなか」「よう マメに?いている。 マロト=結膜炎などで目の中がゴロゴロするときなどマロトがでたという。 マン=まわりあわせ、運賦「今日はマンがよいので勝ったんや」 マンビョーニ=まんべんなく、平等に。 「マンビョーニ行きわたるようにわける。 マンマルコイ=丸い、まん丸いこと。 ミの部 ミジク=破壊してしまう。「せっかくの品をミジってしもた」 ミシル=むしりとること ミツキ=外観、ちょつと見たところ。「これミッキがええナ。 ミテクレ=ミッキに同じ「これミテクレええことないナ。」 ミヤレル=見られる。「人にミャレンようにして行けよ。」 ミンニ=見物に「映画ミンニ行こら。」 ムの部 ムイキ=無理に力まかせに、1時にどっと。 「そうムイキにするなよ、こたえるで。 ムカエ=向う側の家 ムカワリ=1周忌 ムク=全く、ムクタイとも 「そんな事ムク知らんことや」 ムコタリ=向う方、あちら ムコミタ=相手によって考えを変えること、悪い意味での臨機応変 「そんなムコミタなこと言うてどもならん」 ムサンコニ=無暗に ムッツリヤ=いつも笑顔も見せぬ不機嫌な人 ムリムクタイ無理やりに メの部 メ=贈物をうけてその容器など返すときそのなかに入れる紙や小銭など。 メクラメッソウーニ=無暗に、盲滅法に。 メダレカイ=メダレカウ=人の足元を見て相手が弱いとみれば強くなる。 「メダレカウよって、こちらから強くいけ。」 メッソー=目分量、目測「およそメッソーでやってしもた。」 パッソーナ=とんでもない、どういたしまして。メッソモナイとも。 「メッソーナ、お礼などいりませんよ。」 メッタムショーニ=めちゃくちゃに。 メッポカイ=途方もないこと 「メッポカイな話やな。」 メノコカンジョ=暗算 メンドイ=メンドクサイ=面倒な、じゃまくさい。じれったい意にも用いる。 「この仕事メンドイな」 「何をさせてもメンドイことでー。 メンメニ=銘々に モの部 モースル=4つ這いになること モーセンニ=モーセンド=大分以前に モジク=こわす モタス=永く使い続けること モタス=モタシカケル=立てかける、もたれかからせる。 モダク=いぢる、さわる モチャソビ=おもちゃ モッケナ=意外な、当惑する 「金を借りに来られてモッケなもんや。 モッサリシテル=あっさりしてるの反対語。 またあかぬけしていない意もある。 …モテ=……しながら…しつつ。「たべモテ行く。」 モノノ=ざっと勘定して、多く見ても 「モノノ20人も来てたかな。」 モモー=実全般をさす語(桃ではない)。 …モンデ=…ものか 「行くモンデ」 モンビ=祭日や仏事のもよおしの日。 「今日はモンビやさけ仕事は休み」 モムナイ=モモナイ=旨くない、まづい モリコ=子守り娘のこと …モンデ=…ものか、モンデーとも。 「行くモンデ」。 ヤの部 ヤ=である、だ「そうや。」 ヤーハン=ヤヤコ=赤ン坊、ややさん。 ヤイ=よ(人名につけて呼びかける) 「お幸さんヤイ」また「オイ、ヤイ」とも。 ヤカ=ヤカナにもろい脆弱なこと。また「たいていのことでは」の意もある。 「あいつヤカナやさけなア。 「ヤカナことでは動かんぜー。」 ヤキヤキスル=いらいらすること。 ヤクザナ=しようのない、用にたたぬ人。 ヤクザモン=何の役にもたたぬ人から道楽者の意に用いる。 ヤクタイ=ヤクタイナ=ヤクタイモナイ=だめ、無茶な、ヤケッパチな意にも。 「そんなヤクタイナこと言わんと――。」 「ヤクタイモナイ話やナ。 ヤケノヤンパチ=自暴自棄、やけ、これからヤケノヤンパチ、ヒヤケノナスビなどとシャレる言葉もある。 ヤケムチャニ=べらぼうに、馬鹿に。 ヤスメ=やすもの「なんとヤスメ買うたノシ。「こんなヤスメあかんで。」 ヤセギス=やせがた、どちらかといえばやせたほう。 ヤセッポ=やせた人。 ヤツジヤ=おやつ。 ヤツス=めかす、めかしこむ。 ヤットコセーデ=やっとの思いで。 ヤッパシ=やはり ヤナ=胞衣、えな。 …ヤナ=…だね。「行かんのヤナ。」 …ヤナ=…ないよ。「出来ヤナ、見えヤナ。」 ヤナニカシ=など、なんど 「菓子やナニカシたんともろた。」 ヤニコイ=虚弱な、未熟な「ヤニコイ児で、世話に骨がおれる。」 …ヤヒテ=じゃないか、…ですわ。 「そうヤヒテ=そうじゃないか)。あの人ヤヒテ(あの人ですわ)」 ヤヒテヨーとも用いる。 ヤマコ=投機事業、山かん、ヤマコハルで虚勢を見せる意。「あいつヤマコハリやさけ、あてにならんでー。」 ヤラ=ヤラヨー=やろう、やるよ。 ヤラゲル=ぶっつける、突きあたる。 ヤラコイ=ヤロコイ=やわらかい。 ヤリヤウ=戦う(舌戦にも)。 「だいぶ長いことヤリヨていたが勝負つかなんだ。 ヤレル=…得る…出来る 「着ヤレル」 「見ヤレル」(見るに足るまた見ることができるの意をふくむ)。 …ヤン=…出来ぬ…し得ぬ 「読めヤン。行けヤン。 …ヤン=ぬ、せぬ。「捨てヤン。消えヤン。」 ヤン=さん(目下の者に対する敬称) 「源ヤン、作ャン」 ヤンチャ=ヤンチャクレ=ヤンチャボシ=ヤンチャモン=わんぱくもの ユの部 ユイグサ=ロ実、いいぐさ。 ユイタイコトユイ=勝手なことばかりいう我まま者。 ユイブン=言いぶん。 ユイワケ=いいわけ。 ユーケイ=夕方、「ユーケイに行きます。」 ユーベ=昨晩の意、ヨンベと用いる。 ユサン=ピクニックの意。 ユックラ=ゆっくり。 ユヤルク=しゃべる、言いふらす意も含む。 「そんなことユヤルクもんか――。 ユワサレル=やられる、やっつけられる。 ユワス=閉口させる、打つ、殺す、盗む、わがものにするなどの意をふくむ。時と場合と相手によって使いわけをする。 「あいつ=ぺんユワシちゃろか」 「これ、うまいことユワシてきちゃった。」 「とうとうユワサれた。」 ヨの部 ヨー=世帯、生活「そんなぜいたくするとヨーがもてん。 ヨ=とてもできね。 「ヨーせん、ヨー行かん。 ヨー=カをこめるために用いる。 「行かヨー、行けヨー、行こうヨー。」 ヨー=しばしば、時々、よく 「ヨー来るぜ(よくやって来る)。」「あそこ之ヨー行くんか(しばしば行くか)。 ヨーイデ=ヨーオコシ=入らっしゃいませ。 ヨーケ=たくさん「もっとヨーケくれよ」 ヨース=ヨーススルー気取る、様子ぶる。 「あの娘いつでもヨースしちゃる」 ヨーユウテラ=よくそんな事がいわれるな。 ヨクセキ=よくよく、思いつめたこと。 「それはヨクセキの事やな。」 ヨケ=余計、沢山「ヨケもいらんよ」「ヨケたべて腹痛い。」 ヨケ=なおなお、もっと「叱ったらヨケ悪いことしよる。」「止めたらヨケする。」 …ヨケ=…で、……ごたえ。 「くいヨケある(食いでがある)。しヨケある(しごたえあがある)。」 ヨコスッポ=横面。 ヨコタオシ=倒れかかるような。 「ヨコタオシになって走ってた。」 ヨコタクレ=横に曲っていること。 「ヨコタクレに帯結んでる。」 ヨコッタ=ヨコッチョ=横向き、横。 ヨサリーヨサとも=夜のこと 「ヨサリになってまで、しゃるき(歩く)まわるな。 ヨシ=言葉の終りにつける「よ。」 「そうヨシ」「さアヨシ。」 …ヨシ=せよ(命令する意あり) 「行きョシ」「たべヨシ。 ヨシニスル=やめる、よす。 「もうこれでヨシニスル。」 ヨジレル=曲る、ねぢれる。 ヨソイキ=外出用の着物。 ヨソウ=盛る(茶碗などに)。 「ヨソウて!」「ヨソイ過ぎたナ。」 ヨタンポ=酒に酔っぱらうこと。 ヨッジャ=朝と昼との中間の軽い食事。 ヨッテ=故に、 ……から「わしも行くヨッテ。」 ヨッテコッテ=大勢寄ってたかって。 「ヨッテコッテえらい目にあわした。 ヨッピト=1晩中、夜どおし。 ヨノ=ほかの、別の「おまえいやならヨノ人にたのまよ。 ヨバレ=ヨバレタレ=寝小便する。 ヨル=「する」を少し卑めて、しくさるの意、 「そんなことしヨル」「あんな所へ行きヨル。 ヨンベ=昨夜、ゆんべ。 ラの部 …ラ=人をさそう言葉の語尾。 「行こら。たべよら。」 …ラ=……れば、……りや 「無けラやろう」 …ライ=ライエー=前記ラに同じ。 ラッシモナイ=ラッシャナイ=らちも無い、 馬鹿々々しい。やけっぱちな意もある。 「そんなラッシモナイことあるかいヨ。 ラッシャワエ=ラッシャワヤヤ=お話にならぬ、無茶な。 リの部 リコンナ=利巧な。 リマエ=理屈が通っている。 リョウリ=外科手術。 レの部 レテング=西洋風の小さな秤。 レンギ=レンゲ=すりこぎ。 口の部 ロージ=裏木戸、1枚戸で出来た出入口。 「ロージしめとけ、用心悪いぞ。」 ロクスッポ=ろくろく、ろくに。 「ロクスッポ人の言うこと聞かんと――。 ロッポーセキ=水晶。 ロンパン=談判、論判。 ロン カイ=どの位(又はドンカイとも。) ワの部 ワイ=ワイラ=わたし、わしら。 ワイトコ=私の家。 ワガ=自分。 ワガタマル=丸くかたまって寄り合う。 ワガラドシ=自分らどうし。 ワグタマル=わだかまる、1所にかたまる。 物にも人にも用いらる。 「5、6人ワグタマッて何か相談してる。」 「下着がワグタマッて気持悪い。」 ワタイ=ワタシャ=私、私は …ワイ(ヒ)テヨ=……じゃないか……と思わないか。「寒いワヒテヨ。(寒いと思わぬか。) 「行かヒテヨ」(行くじゃないか。 ワヤ=ワヤクソ=ワヤクタ=ワヤクチャ=ワヤテコ=ワヤテコテン=駄目、無理なこと、無茶なこと ワルイキ=思いがけない損害、災難。 「あの家もワルイキやなア。 ワルスルト=悪くすると、若しかすると。 ワルボタエ=悪ふざけ。 ワンナル=悪くなる、腐る ワンラ=お前ら。 ワロチャレ=笑ってやれ。 ワロテラ=笑っている。 ンの部 ンカテ=…しなくとも。 「案じンカテ大丈夫や。」「いわンカテわかってる。」 …ンナ=しないな 「コンナ(来ないね)」「せンナ(しないな)。 …ンナ=するな「クンナ(来るな)すンナ(するな)。 …ンナン=……ねばならぬ。 「イカンナン(行かねばならぬ) ンデヨ=いいえ、いやよ、「行こらよ、ンデヨ。」 先頭に戻る 広川町誌 上巻(1) 地理篇 広川町誌 上巻(2) 考古篇 広川町誌 上巻(3) 中世史 広川町誌 上巻(4) 近世史 広川町誌 上巻(5) 近代史 広川町誌 下巻(1) 宗教篇 広川町誌 下巻(2) 産業史篇 広川町誌 下巻(3) 文教篇 広川町誌 下巻(4) 民族資料篇 広川町誌 下巻(5) 雑輯篇 広川町誌下巻(6)年表 |